恋を知らない亡国の姫君は敵国の(大っ嫌いな)王太子に溺愛される。


 花嫁の衣装が台無しになり、その後の予定は大幅に崩れた。

 セリナは代わりの衣装を見繕うために駆り出され、ロックも犯人探しに奔走。結局予行練習を行うことも出来ずに、あっという間に夜八時を迎えてしまった。

 ――前回はこんなことなかったのに。

 こんなこと、今まで二回過ごした『今日』はなかったのだ。今までと大きく違うこと――それは朝食の際に王妃に捕まり、朝の訓練が出来なかったこと。そのため、刺客に襲われた場所や時間が異なったこと。そして、ロックの尾行をしたこと。

 ――その中で、犯人が派手な行動をするキッカケになったのはどれだ?

「姫様、何か黙っていることがお有りなんじゃないですか?」

 何とか代わりの衣装の準備も終わり、ひとまず私室に戻ったセリナ。部屋の扉を閉めた早々、ジェイドはそう話しかけてきた。整えられた黒髪に映える菫色の瞳は、好奇を隠せていなかった。

「そっちこそ、ずっとだんまりだったじゃない」
「ただの執事が口を出すことではないかと思いまして」

 ――嘘おっしゃい。

 ただの執事とは思えないほどニやついたジェイドを横目で見ながら、セリナはベッドに腰掛け、髪を掻き上げる。その金糸は、指の間をしなやかに通り抜けていった。

「従者って……わたしたちと擦れ違う時は、必ず足を止めて一礼するものよね?」
「当たり前です。私がいい手本でしょう?」

 シレッと言い切るジェイドに半眼を返しながらも、セリナは気を取り直す。

「さっき普通にすれ違ったメイドがいたの、気が付いた?」
「ええ、勿論。それが何か?」
「何か……て、怪しいとかドレス破りの犯人じゃないかとか――」
「ついでに姫様を襲い、魔呪具を盗んだ犯人じゃないかとか?」

 ――そこまで分かっていて、何でもっと早く言わない⁉︎

 セリナが追及を口にするよりも前に、ジェイドはニンマリと笑った。

「それが今更わかったところで、どうなるんですか?」
「どうなるって……」
「あの場ですぐに謝罪させるなり、引き止めなかったのがいけないのでは? 相手のあの姿は【|隠せぬ薔薇(フェイクローズ)】によって変えた姿です。今更どうこう出来る話ではないでしょう」

 ぐうの音も出ないセリナの顎を指先で持ち上げ、執事はとても楽しそうに見下ろした。

「メイドの悲鳴なんかに気を取られた貴女の落ち度です」
「なんかって!」

 しかし、セリナはジェイドの手を振り払う。

「ドレスが破かれただけだったから良かったわよ⁉ でもこれが彼女に危険が及ぶようなことだったら大変だったじゃない!」

 人命優先。その当たり前の話を、ジェイドは嘲笑う。

「貴女は本当にお優しいですね」
「茶化さないでちょうだい」
「茶化してなどおりませんよ。ただ……あのような者にまで慈悲をかけるとは、なんと可愛らしいこと」
「……もういいわ」

 ――こいつに真っ当な意見を求めるのが悪かったわ。

 姫だから。王族だから。従者だから。

 そんなもので、命に差を付けようとは思わない。助けられる命があるなら、助ける。ただそれだけのこと。むしろ、それは『姫』であるからこそ揺るがないこと。

 セリナは立ち上がり、部屋を出ようとする。ジェイドと話すことが無駄なのならば、こんな所で立ち止まっている暇はない。たとえ一日をやり直す手段があるとはいえ、無駄に繰り返すつもりはないのだ。

 何度も死にたくないし、何度も死顔を見たくはない。それがメイドだろうと。婚約者である王子だろうと。

 だけど部屋を出る前に、セリナは立ち止まった。

「ねぇ、念の為の確認なんだけど」
「何でしょう?」

 片手を胸元に当て、執事は緩やかに微笑む。そんな一分の隙もない従者に、セリナは問うた。

「あんたがわたしを裏切るような真似、してないわよね?」
「勿論でございます」

 そしてジェイドは片膝を付き、そっとセリナの手を取り唇を落とす。

「盟約に懸けて誓いましょう。私が貴女を裏切ることは永久にございません。永遠に、私は貴女の下僕でございます」
「……宜しい」

 セリナは踵を返す。彼の盟約は、父勇者カルサスへの誓い。それに、偽りはないと信じて。
 部屋を出ようとするセリナに、声が掛かる。

「信頼とは、ただの勇気にしかございません。相手が信用に足る人物なのか。己の目が正しいのか。それはその時になってみるまで、答えを出しようがないのですから」

 ――また心を読むような真似を……。

 特に振り向かず、そのまま立ち去ろうとするセリナの背中越しに、小さな笑い声が聞こえた。

「姫様の勇気が私を楽しませてくれること、心よりご期待申し上げます」





 犯人を捕まえるどころか、特定することすら出来なかった。
 ならば現行犯を捕らえ、直接対決しかない。

「お願い、今晩は一緒に寝て欲しいの!」
「……随分と力強いお誘いだなぁ」

 時刻は夜の八時半。セリナはロックの部屋に着いた早々、彼を壁際に追い詰めていた。別に、いきなり突き飛ばしたりしたわけではない。グイグイと近付いて行ったら、彼がどんどん後ずさり、気が付いたら壁だったというだけだ。

 今回も部屋の真ん中では魔法陣の上に鍋が置かれていた。グツグツと湯が沸騰する音がする。

 だけどそんなものには目も来れず、セリナは両手をドンッと壁に付いた。腕の間に挟まれたロックの琥珀の目が泳ぐ。

「まぁ、待て。とにかく待て。確かに俺らは婚約者だし、明日が婚約式だが、物事には順序というものがある。王族ゆえに婚約式だの結婚式だの待たせてしまって悪いが、やはりそういうのは結婚式を終えてからの方が無難じゃないか?」

 ロック王子が慌てている。そのことにほんの少しだけ気を良くしたセリナがわざと肘を曲げ身体を近づけると、彼はますます早口になった。

「もちろん正式な結婚の後も、おまえの気持ちと時期を待ちながら愛を育んでいけたらと思うし、そのように最善を努めるが……やはり万が一ということもあるだろう。それに大事な婚約式の前に無理をして、明日に響くのも困るし」

 ――こいつは何を言っているんだろう?

 あまりの素っ頓狂は話に今度はセリナが目を丸くするが、「いや……」と悩んだ素振りをしたロックは真剣な顔になった。

「やはりここで逃げるのは男が廃る。任せろ。今からまるで夢見るような初めての閨を――」

 セリナは無表情で婚約者の顎に掌底を突き上げる。



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