恋を知らない亡国の姫君は敵国の(大っ嫌いな)王太子に溺愛される。


 まるで彼女は花嫁そのものだった。

 レースがふんだんにあしらわれたドレスが、藍色の落ち着いた髪と相まってより品よく見える。しっかり化粧を施せば、見目麗しきお淑やかな美人。誰がどう見ても高貴な令嬢だ。

 そんな彼女の前には王子様。灰色の髪はなぜかいつも以上に乱れていて、服もボロボロ。それでも姿勢の良さと自信に満ちた金色の瞳は、彼の気位の高さを示すに充分だった。

 厳かなはずの礼拝堂は、廃墟のようだった。真っ二つになった女神像が倒れ、長椅子も位置を乱している。周囲にはガラス片が散っている始末。

 それは天気の良い昼下がり。ガラス片に反射した光の中で、その花嫁姿の令嬢が決死の覚悟で口を開いた。

「難儀なものねぇ……二十二歳で行き遅れと恥じるなんて」
「姫様。十代の貴女が言うと嫌味以外の他なりませんよ」

 そんな光景を入り口から覗き見ている者が二名。不届き者と罵られても文句が言えない雰囲気だが、名目上は邪魔者が来ないための見張り。一応身体は中から見えないように隠しつつも、その姫の顔はガッツリと覗いていた。

 そして中の様子を見ながら、二人は呑気に喋る。

「でもあれだけ似合っておいてさ……誰のためにあつらえたのかわからないわよ」
「まあ、サンビタリアでは特に婚期が早いですからね。でもあれだけ美しければ大丈夫かと。教養も高いですし、貰い手はあるでしょう。むしろそのような引け目を感じている手合いが好きだという輩も一定数いるものです」
「あんたが言うと妙に説得力があるわね」
「ふふ、光栄でございます」
「いや、全く褒めてないんだけどさ」

 礼拝堂の中では、拙いながらも彼女の真剣な想いが紡がれていた。十数年そばにいた人からの真摯な言葉。いかに王子が大切か。いかに王子のそばにいたいか。いかに王子を独占したいか。

 セリナに対して、王子の背中を向けていた。だから彼がどんな顔でその話を聞いているかわからない。

 ――だけど、きっと……。

 彼の真剣な顔を想像した時、隣の執事は呑気に切り出した。

「姫様、私今まで黙っていたことがありまして」
「何よ?」

 彼女の口が閉ざされる。両手を胸の前で握って、祈るように目を瞑っていた。二人の大事な局面を迎えただろうところで、ジェイドは言う。

「私、魔王なんです」

 ――あ、振られたな。

 シオンの眉がしかめられ、その藍色の相貌から涙を零している。
 その光景に安堵し、そんな自分にイラッとし。

 セリナは一言、ジェイドに返す。

「それで?」
「おやおや。私は今、衝撃の事実を話したつもりなのですが」

 確かに、魔王は勇者カルサスが倒したはずなのだから。彼の言っていることが本当ならば、世界の安寧を揺るがす大事件だろう。

「冗談なら面白くないわよ」
「私が嘘を吐いたことがございますか?」

 ――まあ、お父様らしいか。

 魔王を殺さず、人間のための盟約を結んだ。それに留めたのか、留めざる得なかったのか、セリナにはわからない。だけど、あの父親ならと妙にしっくり来るのだ。

 だから、セリナにはどうでもいいことだ。彼が魔王であろうと、なかろうと。ジェイドは、セリナが物心付く前から当たり前のようにずっと隣にいたのだから。

 ――今更よね。

 あの騎士が十何年もそばにいた人に特別な感情を抱いた。ならば、セリナも。その特別な感情が恋心でなかったとしても、今隣で一緒に盗み聞きしている従者に、特別な感情を抱かないわけがない。

 それこそ、恋人よりも大切な。その関係に付ける言葉はわからないけれど。

「一つだけ聞いておきたいんだけど」
「何でしょう?」
「勇者カルサスは、ちゃんと強かった?」

 その問いに、ジェイドは優しく微笑んだ。

「勿論。私が盟約を結ぶに値すると判断するほどの十分な強さが、あの御方にはございます。だからご安心下さい。貴女の父は、貴女が誇るに値する人物です」
「……そう、それならいいわ」

 淡々と答えるセリナに、ジェイドが眉間にシワを寄せる。

「つまらないほどアッサリしてますけど、本当にそれだけで宜しいのですか?」

 ――つまらないと言われましても。

 だって、ジェイドが只者でないことなんて、今更すぎる。
 それに、

「あんたが魔王だから、私の従者やめますって言うわけじゃないんでしょ?」

 セリナがジト目で尋ねるも、ジェイドは不満げだった。

「姫様……どうせなら、もう少し縋るように可愛く仰っていただけませんか?」
「なんでよ? どうせ約束は違えないんだから、縋る意味もないじゃない」

 彼は言ったのだ――永遠に仕えると。

 盟約は血と血で結ぶ絶対の理だ。その盟約を結んだのは勇者である父である。だがそれに反することは、世界に反すること。その束縛は、魔を司る魔王だからこそ強いはず。

「本当に、貴女様は傲慢で愚かな御人だ」

 その盟約の元、魔王は一人の姫に跪く。そして姫の手を取り、その小指を噛んだ。

「痛っ」
「私は貴女から離れないと誓いましょう――今結んだ貴女との盟約に懸けて、ね」
「今? わたしと? 盟約⁉」
「はい。勇者とではなく、貴女とです。その方が余計な詮索をしないで済むでしょう?」

 ――何でまた急に……?

 小指にくっきりと赤い痕が残っている。どうせ明日の婚約式ではグローブを嵌めるとはいえ、盟約の証だとすれば、永遠に消えない可能性もある。

 だけどそれよりも気になること。

「これ結んで、今までと何か変わるのかしら?」
「貴女が今まで通りを望むのなら、何も」

 ニコニコと紡がれる呆気ない返答に、セリナは「やれやれ」とため息を吐くしかない。

「でも本当、なんで今更? 今まで言う機会なんていくらでもあったでしょう?」
「まぁ、どちらかと言えば貴女に対してどうこうというより、あの王子に対するケジメですか」

 ――ますます意味がわからないのだけど。

 あまりに頓珍漢なことを言う執事に気を取られ、セリナは思わず覗き見ることを忘れた。今日も完璧に身なりを整えた黒髪の執事を見下ろすと、顔を上げた執事がニッコリと微笑む。

「えぇ、恋敵には正々堂々と同条件であるべきかと」
「ちょっと待って。恋敵って何? 誰が、誰に?」
「何と言われましても……私から貴女を奪おうとするあの王子に対して、適切な言葉が恋敵となります。あ、そうそう。あの【|永遠の孤独(エターナルオーファン)】も私が食べました。まぁ、そもそもあれは私が大昔に失恋の腹いせで作った玩具ですし。何も問題はありませんね?」
「はあ? なんか色々と問い詰めたいことが……はぁ?」

 思いっきり顔をしかめるセリナに対して、ジェイドは小首を傾げた。

「おやおや。まさか、私の愛が伝わっていなかったと? あんなに日々真っ直ぐ伝えていたというのに」

 胡散臭い言葉にセリナがあんぐりしていると、その頭をポンと叩いてくる手があった。

「おまえらうるさい。盗み見するにしても、もう少し礼儀ってもんがあるだろ」

 セリナが見上げると、そこには呆れ顔の第二王子ロック=サンビタリア。だけど手を離した彼は真面目な顔で頭を下げる。

「俺の近侍が迷惑かけた。そして図々しい頼みだが、このことは他言無用にしてもらえないだろうか?」

 それにセリナは片目を閉じる。

「もちろんそのつもりだったけど。あんたに貸しの一つでもあった方が、今後やりやすいでしょうしね」

 そして横目で「異存はないでしょ?」と執事を窺い見た時だ。

「お言葉ですが姫様。内密になさるとしても、決して貸しにはなりませんよ?」
「どういうことよ?」
「それ以前に、姫様には王子に借りがあったということです」

 言いながら、ジェイドは懐から包丁を取り出す。「お返し致します」と渡されたロックも目を丸くしていた。そんな彼に、今度はジェイドが頭を垂れる。

「主人の代わりに礼を言わせていただきます」

 ――なっ!

 女神像を切り裂いた魔呪具【|万能包丁(パーフェクトナイフ)】。それどころではなくて頭から抜け落ちていたが、あの時逆転出来たのは女神像が壊れたからだ。誰が壊したのか――その答えに、思わずセリナは蹲る。

「不服……不服だわ。よりにもよってあんたの手を借りるはめになったなんて……」
「いや、俺は……」

 セリナがいじけている間に、ジェイドはロックに耳打ちする。

「良かったですね。念願通り、姫様をお助けすることができて」

 その言葉は、セリナに聞こえない。ただ様子がおかしいと視線を上げたセリナがわかったとは、ロックが赤面したことだ。

 そんな彼は頭を掻き毟って、

「カッコつかねー!」

 と嘆いたのち、この場を立ち去ろうとする。だけど、すぐに足を止めた。

「セリナ! 悪いが今晩だけは一人にしてくれないか?」

 ――まるで毎晩一緒に過ごしているような物言いは何っ⁉

 皮肉を込めて返そうとするも、セリナの頭の中でも毎晩彼の部屋にあしげく通っていた記憶しかない。もちろん、それは彼を殺すためだったのだが。

 ――でも、もし今晩彼の部屋に行くとしたら。

 殺したいなどと、全く考えていない自分がいる。

 もちろん祖国がなくなってしまった事実は、未だ悔しいけれど。それは、自分が何も出来なかったからだ。不甲斐ない自分に腹が立つ。ただそれだけ。

 ならば、悲しげに微笑むあの王子はどうだろう。もう『誰からも愛されない』なんてふざけた道具はなくなった。ならば、今この胸にある感情は、本物だ。

 ようやく初めて、彼に対する本当の感情と向き合うことが出来るのだ。

「奇遇ね! わたしも疲れたから、一人でゆっくりしたいと思っていたの!」

 セリナがそう返事をすると、ロックは目尻にシワを寄せ、片手を上げた。

「それじゃあ、明日な」
「えぇ、また明日」

 その返事は自然と口から出ていった。

 まだ時間はお昼を過ぎた辺りだろう。空にはふわふわとした雲が浮かんでおり、そういえばお昼ごはんを食べてなかったことを思い出す。あの王妃に頼んでご馳走を食べさせてもらうのもいいかもしれない。そうしたら、きっと気持ちよくお昼寝が出来る。予行練習は――会場がこんなになってしまって、きっと中止なのだろうけど。

 ――そういや、明日の婚約式自体どうするのかしら?

「ご安心下さい。あとで私が元通りに直しておきますので」

 ふと不安になったセリナの心境を読むように、執事のジェイドは笑みを浮かべてくる。それに、セリナは眉間を寄せた。

「本当わたしの心を読むような真似、やめてもらえる?」
「おや、ご機嫌斜めですね。あの日ですか?」
「違うわよ!」
「存じております」

 軽口を交わしながら、セリナは礼拝堂の中に残る花嫁を見やる。彼女はセリナに背を向ける形で、倒れた女神像を見ているようだった。その肩が小刻みに震えているようだけど――セリナは見て見ぬふりをする。

 それは彼女の問題だから。セリナの残酷なお節介はここまでだ。



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