爪先からムスク、指先からフィトンチッド
眼鏡の位置を掛け直し、薫樹は少し近づき再び観察するように芳香の足先を見る。
「信じられない。この香りは菌の類とは違うものだ、それがなんで……」
ブツブツと考え始める薫樹に芳香は心配そうな視線を送る。彼女はとにかく早く足を洗って職場に戻りたい。
「あの、私、足の匂いがひどいので、ここで洗わせてもらってたんです。すみません、時間が無くなってしまうといけないので、もうよろしいでしょうか」
「え、あ、ああ。わかった。じゃ」
考え事をしながら薫樹は立ち去った。スパイだと疑ったことへの謝罪が一言もないことに芳香は多少憤りを感じたが、自分も怪しまれるような行動をとっているのだと、気を取り直していつものように足を洗うことにした。
6 芳香の日常
「面倒な時は鍋に限るよね」
芳香はテーブルの上に卓上コンロと土鍋をセットし、中に昆布を入れ水を張った。
湯が沸く間に食材の用意をする。鶏肉と白菜、豆腐とエノキのシンプルな水炊きだ。
ザクッザクと白菜を切りながら、スーパーで見たチーズコーナーを思い出す。
「チーズフォンデュいいよなあー。キムチ鍋も美味しそうだったし」
体臭の元になると言われるものを避けているため、必然的にあっさりした和食が多い芳香は健康的ではあるが少し物足りない。
食べ物のせいで匂いがきつくなったことは実際にはないが『匂う』というキーワードを耳にすると、伸びる手がすっと引かれてしまうのだった。
湯が沸いたので鶏肉から順番に入れ蓋をし、しばらくするとぐつぐつという音と湯気が蓋の穴から勢いよく出てきた。
「煮えてきた、煮えてきた」
蓋を取ったまましばらく煮、最後に春菊を入れる。
「いい匂い。香草っていいよねえ」
芳香は無香料を強いられているせいか、薫り高いものが好きだ。食べ物も春菊、セロリ、ハーブ類を特に好んでいる。
「あー美味しいっ!」
少しだけ煮えた春菊を柚子ポン酢に浸して口に入れると、香りと苦みと少しの甘味が口の中に広がった。続いて肉や野菜をあっという間に食べ、うどんで締めて食事を終えた。
趣味らしいものは特になく、友人づきあいもろくにない芳香は結局、料理とこまめな消臭と除菌のための掃除で毎日を過ごしている。
「週末にこのラグ洗わないとね」
経験によって得た匂いを出さない秘訣は洗うことだ。また頻繁に洗うためには薄手で丈夫なものが良い。
「信じられない。この香りは菌の類とは違うものだ、それがなんで……」
ブツブツと考え始める薫樹に芳香は心配そうな視線を送る。彼女はとにかく早く足を洗って職場に戻りたい。
「あの、私、足の匂いがひどいので、ここで洗わせてもらってたんです。すみません、時間が無くなってしまうといけないので、もうよろしいでしょうか」
「え、あ、ああ。わかった。じゃ」
考え事をしながら薫樹は立ち去った。スパイだと疑ったことへの謝罪が一言もないことに芳香は多少憤りを感じたが、自分も怪しまれるような行動をとっているのだと、気を取り直していつものように足を洗うことにした。
6 芳香の日常
「面倒な時は鍋に限るよね」
芳香はテーブルの上に卓上コンロと土鍋をセットし、中に昆布を入れ水を張った。
湯が沸く間に食材の用意をする。鶏肉と白菜、豆腐とエノキのシンプルな水炊きだ。
ザクッザクと白菜を切りながら、スーパーで見たチーズコーナーを思い出す。
「チーズフォンデュいいよなあー。キムチ鍋も美味しそうだったし」
体臭の元になると言われるものを避けているため、必然的にあっさりした和食が多い芳香は健康的ではあるが少し物足りない。
食べ物のせいで匂いがきつくなったことは実際にはないが『匂う』というキーワードを耳にすると、伸びる手がすっと引かれてしまうのだった。
湯が沸いたので鶏肉から順番に入れ蓋をし、しばらくするとぐつぐつという音と湯気が蓋の穴から勢いよく出てきた。
「煮えてきた、煮えてきた」
蓋を取ったまましばらく煮、最後に春菊を入れる。
「いい匂い。香草っていいよねえ」
芳香は無香料を強いられているせいか、薫り高いものが好きだ。食べ物も春菊、セロリ、ハーブ類を特に好んでいる。
「あー美味しいっ!」
少しだけ煮えた春菊を柚子ポン酢に浸して口に入れると、香りと苦みと少しの甘味が口の中に広がった。続いて肉や野菜をあっという間に食べ、うどんで締めて食事を終えた。
趣味らしいものは特になく、友人づきあいもろくにない芳香は結局、料理とこまめな消臭と除菌のための掃除で毎日を過ごしている。
「週末にこのラグ洗わないとね」
経験によって得た匂いを出さない秘訣は洗うことだ。また頻繁に洗うためには薄手で丈夫なものが良い。