爪先からムスク、指先からフィトンチッド
くるっと振り向き、環は鋭い目で涼介を一瞥し「こんにちは」と静かに返す。
「どうしたんですか? こんなところで。注目集まってますよ? 兵部さんに会いに来たんですか?」
「そうよ」
「ああ、それは残念だ。今日、彼、出張でいないんですよ」
「出張?」
「ええ、僕もさっき思い出して。明後日まで帰ってこないみたいですよ」
「そう……なの。じゃ、帰るわ」
適当な嘘をつき、その場を凌いだ涼介は、帰ると言う環の言葉にほっとする。立ち上がると環は涼介の鼻先くらいに頭があり、ふわりとエキゾチックな香りが漂う。
少し香りにくらっとして環の後ろ姿に目をやると、片足を引きずっていることに気づいた。
「ちょっと待って」
環を引き留め、「足、怪我したの?」と指をさす。
「あ、さっきくじいて」
環は小さな中国の花の刺繍が可憐に施された赤いビロードの靴を履いている。涼介はまるで纏足のような見える小さな足にごくりとつばを飲み込むが、冷静さを取り戻し、「そこに座って」バス停のベンチに環を促す。やはり足が痛いのだろうか、素直に環は腰かけた。
涼介は胸元からミントの精油を取り出し、ハンカチに垂らして環の足首に巻く。
「ありがとう」
素直に礼を言う。モデルだからなのだろうか、人に何かされることに無抵抗でいる環は非常に無防備に見える。
「病院に行く? それとも帰る?」
「病院はいい。帰る」
「どこまで帰るの?
「グランデホテル」
「ああ、ホテル住まいなのか。送るよ」
「タクシー呼ぶから平気」
「いやあ、君は薫樹さんの友人でしょ。こんなんで放置しちゃったら俺も、気まずいからさ。ちょっと肩を貸すだけだから」
「そう、じゃあいいわ」
話していると目の前をバスが停まる。
「これに乗る」
「ん? バスにする? まあこれなら一本で行けそうか」
環の手を取り、二人でバスに乗り込むと、当然のように車内はざわめく。席はちょうど二人掛けの席が一つ空いていたので環を奥に座らせ涼介は立ったまま、シートの肩を持つ。
「座らないの?」
「うん。狭いでしょ」
「そう」
出会った頃や、カフェで会った時の環と違い、今日はやけに大人しくきつさがない。薫樹がいないせいで元気がないのだろうか。そんな環の様子に涼介はペースを崩されるような、かき乱されるような、もやもやしたものを抱えている。
バスはちょうどホテル前につく。
「部屋まで送るよ」
< 62 / 106 >

この作品をシェア

pagetop