爪先からムスク、指先からフィトンチッド
香水王の愛人であれば、並の男はもちろんのこと、悪意のある権力者からも危険な目に合うこともないだろうと言うことだった。
ジャンもマリーも一人娘を失くしているせいで、環を過保護に守る。自分たちが醜聞の的になることなど、全く恐れないのだ。
亡くなったクロエが履いていたシューズを20足ほど受け取る。ジャンは仕事や旅行に出かけたときにいつも娘にお土産として靴を買っていた。亡くなる前、最後に履いていた靴――環が二人と出会った時に履いていた靴――は捨てたらしい。
こうしてジャンとマリーに守られながら、環はTAMAKIとしてスーパーモデルの道を歩み続ける。ジャンが亡くなるまで。

13 姫と王子
「そうか……。そんな事情が……。兵部さんも知らないのか」
「ええ。薫樹は、そういうことにあまり関心がないから、周囲が私とジャンが恋人だと噂していれば、そうだと思って追及もしないはず」
「う、ん。確かに。普通、そういう関係には否定的な反応もあるだろうに、彼は淡々としてたなあ」
「そうなの。薫樹は肯定も否定も、非難もしない。そこがジャンにとっても安心して付き合えると思っていたようなの」
「なるほどね」
「マリーは臨終の際に、よかったらジャンと結婚しなさいと言っていたけど、ジャンと私はやっぱり父と娘だった。ジャンは自分が死んだら薫樹のところへ行くようにって。彼は安全だからって。それに彼には『KIHI=貴妃』を完成させてほしいって願いがあった」
「はあー。それで珍しく日本の仕事引き受けて、ここに来たってわけか」
「うん。でもそれをまだ薫樹に上手く伝えることが出来ていないの」
すっかり着衣の乱れを直して環はしずかに話を終えた。それでも涼介はある疑問がぬぐえない。
「環さん。もう一つ気になるんだけど。――どうして俺と寝ようとしたの?」
環は叱られた子供のような顔でうつむき答える。
「大人になりたかったの。もう、本当に一人になったから。自立しないとって。ほかに方法が分からなかった……。薫樹はきっと私に関心がないし、あなたは薫樹と仲が良くて慣れていそうだったから」
「うーん。光栄だと思えばいいんだろうか。実際、出会った時の印象は最悪だったが、正直に言うと今は君がとても気になってる。――だけど、そういう理由ならなおさら無理だ。男と寝たからって自立できるわけじゃないんだ」
「そうよね……」
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