爪先からムスク、指先からフィトンチッド
「ええー。こんなに美味しいものがあるんだあ」
 普段、芳香はアレルギーがあるということで酒や乳製品を避けてきていたが実際は嘘で食物アレルギーは一切ない。しかし久しぶりに飲んだアルコールは一気に彼女を酔わせてしまっていた。共通の話題などなく特に盛り上がることはなかったが久しぶりに嗜好品として食事を堪能する芳香は大満足だ。
「うわー。これも、すっごい美味しい!」
 静かな薫樹に様子を見られているが屋上での不愉快さはない。寧ろ見守られている安心感を得て芳香は珍しくオープンに自分の事を話してしまう。
「兵部さんっていいですねー。そのまんまの香水の香りでいられて。普通誰だって匂いがあるから元の香りに交じってニュアンス変わっちゃうじゃないですか。さすが匂宮ですねえ。私なんか変わるどころか、悪臭になっちゃうし。あーあ。羨ましいなあ」
「薫の君じゃなくて匂宮ってところが確かに当たってるね。ほんとは僕は薫になりたかったんだが」
「えー。そーなんですかあ。まあ、私にはどちらも羨ましい二人ですねえ」
「明日は休みだよね。もう少し付き合ってくれないか」
「え、あ、はあ、あ、でも私そろそろ……」
「足のことなら気にしなくていい。寧ろそのことで話があるんだ」
 芳香は酔っぱらった頭で判断力を失ってはいるが、足だけは洗わなければと考えた。しかし気が付くとタクシーに乗せられ薫樹の住む、マンションのまえに到着している。


8 色んな条件
「ちょっ、あのここ……」
「僕のマンションだ」
 足元のおぼつかない芳香を軽く支えるように薫樹は腰に手を回し、芳香を連れて歩く。混乱したまま薫樹の部屋の玄関に入れられ、人感センサーが反応し室内が明るく照らされる。(すごい広い……)
 自分が住んでいるアパートの軽く3倍はある広さだろう。
「あがって」
 促されるが芳香はスニーカーを脱げなかった。
「あの、たぶん、もう匂いがすごくて……。脱ぐと危ないと思います」
 自分の足の状況を思うと一気に酔いがさめ、芳香は居心地が非常に悪くなる。
「平気だよ」
「いえ、ゼッタイ平気じゃないです。むしろ兵器です。――私がイヤなんです……。どこの誰だろうが自分の匂いを知ってほしくない……」
「ふぅ……。じゃ、どうしたら上がってもらえるのかな」
「近くに公園とかないですか?水道のある……」
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