秘め事は社長室で
場を和ます冗談のつもりでそう言えば、『退路が確保しやすいお部屋にします!』と意気込んだ返事が返ってきた。どうやら思ったより真剣に捉えられてしまったみたいだ。
逃げることを念頭に置かなければいけない客ってどんな客? そう思いながらも、只人で無さそうなことは確かなので、ここで追い返してもきっとまた押しかけてくるだろう。そんな気がした。
ならば一度会ってしまった方が話が早い。そう思ったのだが。
──まさか、応接室に入って早々、自分の決断を恨むことになるとはね。
「……偽名まで使って、どういうつもり?」
応接室に足を踏み入れてすぐ、私は重たいため息が漏れそうになるのを必死に堪えながら、俯く男を見下ろした。
そこに居たのは、もう一年近く前に別れた元彼だった。
名前は曽根崎健(そねざきたける)。佐藤なんて、ひと掠りもしていない。
出会いは街コンで、向こうから告白されてつきあったけど、色々と合わない部分が見えてきて私から別れを切り出した。もう、随分と記憶からも薄れていたのに、まさかこんな形で再会することになるとは。
「ねえ聞いてる?」
私は入口で仁王立ちしたまま、何も言わない健に苛立った声をぶつける。
だってまさか、とっくの昔に別れた女の勤め先に突撃してくるなんて。そんな人だとは思わなかったから、呆れやら怒りやら、とにかく肚の奥で、ザワザワと感情が逆立っていた。
「健」
「桃が」
つと、漸くかさついた唇が動く。