秘め事は社長室で

ぽつりと落とされた声は酷く冷えていて、背筋に冷や汗が滲む。脳漿を警戒アラートが赤く満たして、ごくりと知らずのうちに唾を飲み込んだ。


「桃は本当にいい子だな。あんな男、庇うことないのに」


嗤った健が、床に突き刺さったままだったナイフを引き抜く。その全容が眼前に晒されて、思わず釘付けになる。ステンレス鋼の直刃に、背にはノコギリ刃を持つサバイバルナイフ。鋭く磨かれた切っ先が、私の喉笛を掻き切らんと狙いを定めていた。


「っ、」


首元に、ひたりと冷えた感触が這う。
薄皮一枚隔てた奥で、動脈がうるさいくらいに暴れている。少しでも動けば血飛沫が舞い上がりそうで、無表情の健を凝視したまま、バレない程度に指先を動かした。

何か。何か突破口になるようなものがあれば。
焦る間にも、健は悠悠と私に顔を近づける。


「桃、俺の傍に居るって言って」
「は、」
「俺の恋人になるって、もう仕事は辞めてずっと俺の桃になるって」


何を、言っているんだろう。この人は。


「言えよ」


目を見開くばかりの私に焦れたのか、僅かに苛立った様子を見せた健が、ぐ、とナイフを押し付けて顔を覗き込んでくる。

でも、意地でも言いたくなかった。
不意にジャケットのポケットに忍ばせた指先に、つるりとした感触が当たる。


(これ……!)


それは、天から差し込んだ一筋の光明だった。


「健……」
「ん?」


少しだけ、健の雰囲気が和らぐ。私の言葉に耳を寄せるような気配があって、でも、続く言葉が見つからない。
逡巡していた時、突如二人の間に場違いなほど軽快なメロディが割り込んできた。


「……」


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