密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
「弁護士になってから、駅で千代さんにばったり会いました。そのときから石橋仕出し店にいつか行こうと思っていたのに、なかなか顔を出せなかった。後悔しています」

君塚先生の声は揺れている。
そんなに祖母を慕っていてくれたんだ……。

「祖母の財布から、君塚先生の名刺が出てきたんです」

私はずっとお守りのように握りしめていた名刺を君塚先生に手渡す。
財布の中から出てきたときはどういう経緯で持っていたのかわからなかったけど、ようやく合点がいった。

「千代さん、取っておいてくれてたんですね」

受け取った名刺を見つめる君塚先生の眼差しは感慨深げだ。
名刺との再会に満足した彼に返され、私は財布の中に大切にしまう。

「もう食べられないんですね、千代さんの唐揚げ」

眉尻を下げた君塚先生がつぶやいた。

「はい……」
「千代さんと治司さんには、個人的にご恩があります。相続登記以外でもなにか困ったことがあれば、春香さんの力になりますよ」
「え?」

私はきょとんと首を傾げる。

「さっき、ほかに相談はないですか? と尋ねた際、春香さん一瞬迷いましたよね」

見透かされてる、と思った。ばつが悪くて、私は肩をすくめる。

「ええと……」

力になってくれるのはありがたいけれど、祖母を慕っていた人にはなんとなく言いづらい。

せっかくの申し出なのに、変なプライドが邪魔をして口ごもらせる私に、君塚先生は片眉をぴくりと魅力的につり上げる。

「ほかにご相談がないのであれば、せめて俺が知ってる千代さんの唐揚げのレシピを共有しますか? 千代さんの唐揚げ、もう一度食べられますよ」

か、唐揚げのレシピ?どうしていきなり……。

意味がわからずぽかんとする私に対し、君塚先生は睫毛を伏せてふっと上品に笑った。
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