密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
奥さんが去った後も、私はしばらく放心状態で動けずにいる。
あんなにも嫌悪を含む目で見られたのは初めてで、自分がすごく悪人になった気分だった。

とぼとぼと覚束ない足取りで帰宅し、真っ暗な部屋で電気も点けず、ダイニングテーブルの椅子にうなだれるように腰かけた。

疲労がどっと押し寄せてくる。
重い頭をダイニングテーブルにくっつくくらい垂らし、奥さんの言葉を回想した。

どうしたらわかってくれるのだろう。なんとか信じてもらえる方法はないだろうか。
それか百瀬店長から説得してもらうしかない。けれども、百瀬店長に連絡を取れば、それもまた不倫疑惑に拍車をかけることになるかもしれない。

文字通り、頭を抱えたときだった。

「春香?」

突然耳に入った声に、私は肩を跳ね上がらせる。そして、緩慢な調子で振り向いた。

同時に部屋の電気が点き、幽霊のような私を見て透真さんが驚いている。

「気づかなくてすみません。お帰りなさい」

よろめきながら立ち上がると、すぐに透真さんが歩み寄り私の体を支えた。

「なにかあったのか?」
「いえ、ちょっとその、疲れてて……」
「しっかり休まないと。パスタをテイクアウトしてきたんだが、横になる前に少しでも食べられるか?」

透真さんが持っていた紙袋をダイニングテーブルの上に置いた。

透真さんは優しい。
出会ったときはクールな印象しかなかったけれど、情熱的な夜や、穏やかな日々をともに過ごし、包み込んでくれる優しさと温かさを知ってますます好きになった。

もしも今、浮気をされたら……。
そんな仮定は不毛だし、透真さんにも失礼だけれど、奥さんの立場になってみたら、私も子どもを傷つけた人物を許せない気持ちになるだろう。

幼い子どもが小さな肩を震わせ、声を押し殺して泣いていたら。幼いなりに弱った母を気遣って、無理に笑ってくれたなら。

その健気さが心もとなくて、想像しただけで胸が締めつけられる。
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