密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
妊娠中というセンシティブな時期に辛い思いをした奥さんは、そのとき晴らせなかった悔しさを私にぶつけている。
私にとっては理不尽だけれど、奥さんは慰謝料という形で決着をつけることで、嫌な出来事から子どもと自分を解放しようとしているのかもしれない。

「春香?」

まだ膨らんでいないお腹を押さえる私を見て、透真さんはハッとした。

「痛むのか?」

私は首を横に振り、ぽつりとつぶやいた。

「私、百瀬店長の奥さんに慰謝料を払おうと思います」

押し黙ったのも刹那、透真さんはだいたいの事情を汲み取ったのか、私の肩を掴み椅子にストンと座らせる。

「なに馬鹿なことを言っている。きみは不倫していないんだ、払う必要はないだろ?」

まるで小さな子どもに言い聞かせるかのよう。

「けど、大切な子どもが傷ついていたら、母親は闘おうって思うはずです。それで奥さんの気が済むなら……」

私はすがる思いで透真さんを見上げた。

「それに私ももしも今、透真さんに浮気されたら。耐えられないです」
「おいおいおい……」

私の言葉に目をむいた透真さんは、疲弊した声で話す。

「どうして話がそこまで飛躍するんだ。ていうか俺をそんないい加減な男と一緒にするなよ」

呆れた様子で頭に手をやり、ふうっと長いため息を吐くと気を取り直して私を正面から見つめた。

「俺は春香以外の女はどうだっていい。これまでもこれからも、きみに心底惚れているんだ」

とくん、と心臓が鳴る。

透真さんの真剣な眼差しが、次第にじんわりと潤んできた。
私を暗い世界から引き上げる強さのある、清らかに澄んだ瞳から目をそらせない。

「すみません、私……。透真に迷惑をかけるのが申し訳なくて。妻が不倫で訴えられたら仕事に支障をきたしますよね」
「俺の心配は要らない。そもそも支障をきたすもなにも、事実無根なんだ。どんな脅しにも屈する必要はない」

きっぱりと言い切ると、透真さんは私をギュッと抱きしめた。

腕の力加減や匂い、ぬくもりに安心する。
乾いた心に温かい水が流れ、息を吹き返していくようだった。

「透真さん……」
「きみはなにも悪くない。俺が守るから」

透真さんは私の耳もとで呪文のように唱えると、背中に回す手に力を込めた。

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