*触れられた頬* ―冬―
「しょ、しょうがねぇなぁ……」

 凪徒は呆れた(つぶや)きを洩らしたが、すぐに背筋を伸ばし先へ数歩進む。

 モモもその影のように離れずに続いた。

「山科 椿さんで、間違いないでしょうか?」

 小じんまりとした部屋の真ん中にはベッドが据えられ、その先の影が凪徒の問い掛けに振り向いた。

 回転椅子に座っているのか、クルリと正面を向いた(おもて)は、完璧に隠れたモモには見えなかった。

「こんな奥から申し訳ございません。山科……(なつ)かしい響きです。そんな風に呼ばれたのは、もう何年前のことなのでしょう……。私は以前どちらかで貴方様とお会いしているのでしょうか?」

 ──お母さんの、声……。

 モモは柔らかく優しくゆったりとした声に、胸がじんわりと熱くなった。

 想像していた通りの、良く通る美しい声。

「桜コーポレーションの取締役、桜 隼人を覚えていらっしゃいますか? 自分はその息子で──」

「凪徒……お坊ちゃま!?」

 ──!?

 凪徒の説明が終わらぬ内に、椿は咄嗟(とっさ)に答えを導いていた。

 二人の驚きの顔が距離を(へだ)てながらもかち合い、椿は両手を口元に当てて()り固まっていた。


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