円満夫婦ではなかったので
「それで別人みたいなのが気になったのは分かったのですが、また会ってどうするつもりだったんですか?」
「覚えているか? 君が初めて俺に言った言葉は“助けてください”だ」
名木沢の言葉に、ドクンと心臓が跳ねた。
(助けてください……私、そんなふうに言ったの?)
どれ程追い詰められていたのというのか。日記を読んだとはいえ、当時の自分の感情を完全に理解している訳じゃない。
「今は元気にしていても問題が解決した訳じゃないからな。むしろ以前よりも状況が悪くて、いつ気付いてもおかしくない状況だ」
彼の言葉に含まれた意図にはっとした。
(この人、瑞記たちの不倫を確信している)
瑞貴と希咲が精神的な面だけでなく肉体的にも不倫関係になったのは、最近のことのようだ。
名木沢もその事実を把握して、園香のところに来たのかもしれない。
そうだとしたら、彼は園香が思っているよりも、よい人なのでは?
(でも分からない……)
信用していいのか確信が持てない。自分の判断にも自信がない。
園香は内心溜息を吐いた。
(それでもこの人への嫌悪感は大分消えている)
単純すぎるかもしれないが、すぐに席を立つ気はしない。
もう少し話を聞いてみたいと思う。
「記憶が戻っているのには驚いたが、君の変化にはもっと驚いた」
「私が落ち込んでいないからですか? それは夫に見切りを付けたからです。もう夫への気持はありません」
思い出した訳ではなく、日記を読んだとは伝えない。
そこまで信用してはいけないと思うから。
「それは……ずいぶん割り切ったんだな……驚いたよ」
名木沢は言葉の通りの表情だが、園香が嘘を言っていると疑っていないようだ。
「約束の日に来なかったのは心境の変化が有ったからか?」
「え?」
(どういう意味?)
「君と俺のオフィスが入っているビル内にあるカフェで会う約束をしていただろう? 来なかったのは、夫との関係を諦めたからじゃないのか?」
「……」
「事故に遭ったのがグランリバー神楽第二だから、もしかして間違えて行ってしまったのかとも考えていたんだが……」
その瞬間、ひやりと背中が冷たくなった。
(グランリバー神楽第二? まさか第一があるの?)
「……すみません、少し席を外していいですか? すぐ戻るので」
「ああ、構わない」
園香はバッグを持って席を立ち、化粧室に向かう。
ちらりと振り返ると名木沢がこちらを見ていた。
目が合うとにこりと微笑んでくる。
園香はドクンドクンと乱れる心臓の音を感じながら、化粧室のドアを引き駆けこんだ。
(名木沢さんの会社の住所!)
バッグからスマホを取り出し、震える指で彼の会社名を入れて検索する。
見付けた答えに、園香は息を呑んだ。
「グランリバー神楽第一……」
彼の会社の所在地は、園香が階段から転落したのとは別のオフィスビルとなっていた。