円満夫婦ではなかったので
「こんなビジネスホテルじゃなくて、温泉でもある旅館でゆっくりしたらきっと楽しいよ」
(希咲とふたりで温泉……)
きっと最高の思い出になるはずだ。瑞記の頭の中から、溜まりに溜まった事務作業のことなど消え去った。
「希咲の言う通りかもしれない。会社を立ち上げてから今まで全力で走って来たんだから、たまにはゆっくり過ごそう」
瑞記自身が彼女と離れたくないのはもちろんだが、それとは別に瑞記を受け入れてくれた希咲の希望を叶えてあげたい気持ちが強かった。
「やった! それじゃあホテルか旅館を急いで探さなくちゃ」
上機嫌でスマホを見始める希咲の姿に、瑞記はこみ上げる愛しさを感じていた。
ビジネスホテルをチェックアウトしてすぐに、希咲が見つけた旅館に移動した。
隠れやのような雰囲気の宿で、ふたりでゆっくり過ごすに相応しいところだ。
食事の時間と入浴の時間以外は、常に触れ合っていた。
朝目覚めて腕の中に希咲の温もりを感じたとき、瑞記はもう彼女のことしか考えられなくなっていた。
(彼女がいれば他には何も要らない。誰にどう思われても構わない)
言い争いをして感情的になった妻に離婚を告げられたときは、世間体と家族の目を考えると離婚なんてあり得ないと思った。しかし今はもうそんな些末なことはどうでもいいと感じる。
「あ、瑞記おはよう」
考えに浸っている内に、希咲が目覚めたようだ。けれどまだ眠むそうに目をこすっている。
そんな仕草も可愛くて、瑞記は自然と笑みを零した。
「おはよう」
「今、何時かな?」
「七時半だよ」
「そっか。早起き出来たから朝のお風呂入ってこようかな」
今にもベッドから起き上がりそうな希咲の体に瑞記は覆いかぶさる。
「もう。瑞記ったら」
希咲は楽しそうに声を上げて笑った。