だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜

262.ある皇太子の愛憎

 遠い、遠いある日の温かな記憶。

『───ねぇ、フリードル。優しいお兄ちゃんになってね。パパみたいな仲の良い兄妹になってね』

 大きく膨らんだ腹部をさすり、その人は僕の頭を撫でた。父上からは与えられた事の無い温かさだった。

『───きっとね、あなた達は仲良くなれると思うの。だってパパの子供だもの……パパは弟の事が大好きだからね、きっとフリードルもアミレスの事を好きになるわ。ううん、きっとじゃあなくても、アミレスの事を好きになってあげてね』

 幼い僕は母上に促されるまま腹部に耳を当てて、妹の存在に思い馳せていた。
 妹……たった一人の僕の妹。僕は君を、兄としてたくさん愛するよ。それが兄妹というものだと母上から何度も言われていたから。
 僕は父上似だから、妹は母上似かな? なんて考えていたかもしれない。
 僕は優しいお兄ちゃんになれるかな、仲の良い兄妹になれるかな。なんて考えていたかもしれない。幼心に、妹の誕生を心待ちにしていたのかもしれない。
 ありきたりな幸せな家庭になると思っていた。仲の良い家族になれると思っていた。
 だけどそれは幻想でしかなかった。妹の誕生と同時に母上が儚くなり、僕達の幸福はいとも容易く崩れ去った。

 待望の妹の誕生。少しうるさいぐらいの産声と共に生を受けた、僕の妹。母上の侍女と共にその場に立ち会っていたけれど……僕もその瞬間には感動していた。
 産婆から布に包まれた赤ん坊を渡され、幸せそうにその赤ん坊を抱き締める母上。しかしその直後──まるで糸の切れた操り人形かのように、母上の体から力という力が抜けた。
 赤ん坊を抱く手だけはそのままで、母上は寝台《ベッド》に倒れ込み、その場で息を引き取った。

 あまりにも、突然の事だった。
 昨日まで……ほんの数時間前まで病気も無く元気だったのに。母上は、原因不明の急逝を遂げた。
 待望の娘の誕生で仕事を放り出して駆けつけた父上は、この惨状に酷く絶望していた。

 そこで僕は初めて、父上の涙を見た。幸せそうに微笑み、赤ん坊を大事そうに抱き締めて永い眠りについた母上を見て……父上は強く感情を溢れさせていた。
 僕の隣では母上の侍女とケイリオル卿が膝から崩れ落ち、涙を流しているようだった。そんな、誰もが予想外だったこの不幸に、僕も遅れて涙が零れた気がする。

 後にも先にも、これが僕の人生で涙を流した唯一の出来事だったのかもしれない。
 父上は妹を殺そうとした。父上から母上を奪った妹を殺そうとしていた。だが、それはケイリオル卿が命懸けで阻止していた。

『───退け、ケイリオルッ! それは、それは、私からアーシャをッッ!!』
『───絶対に退かない! 例え何があろうとこの子は死なせない! そんな事をして、彼女が喜ぶと本気で思ってるんですか!?』
『───ッ! 私、は……私は…………ッ!!』

 涙を流し修羅のごとき表情でケイリオル卿を睨む父上と、そんな父上から妹を守るように立ちはだかるケイリオル卿。幸福と不幸が重なる場にて、もはや収拾のつかない一触即発の空気が流れる。

『───とにかく今は落ち着きなさい。確かに彼女が死んでしまった事は酷く悲しい事だけど、だからってそれが彼女の忘れ形見を殺す理由にはならないでしょう!』

 あの父上相手に、ケイリオル卿はピシャリと言い放った。悔しげに奥歯を噛み締め、それに怯む父上。
 その隙にとケイリオル卿は母上の侍女に妹を預けてこの場から逃がし、妹は九死に一生を得ていた。
 それからは一ヶ月……いいや半年以上もの間、父上は魂を失った抜け殻のようだった。母上を亡くしたショックが全く抜け切らなかったらしい。
 だからだろうか。雨の日も雪の日も風の日も毎晩かかさずに、父上は母上に会いに行っていた。母上の墓石は二つ……一つは親族の墓の隣に、もう一つは母上が愛していたという皇宮の中庭の真ん中──美しい木の下に作られていた。

 父上は、毎晩母上との思い出の中庭を巡っては、母上の墓の前で酒を飲み眠っていたらしい。
 体調不良なんて関係ないとばかりに行われる虚しい行為に、誰も口を挟める筈も無く。父上関連では頼みの綱のケイリオル卿も、抜け殻となった父上の代わりに全ての仕事を担っていた為、父上の奇行には手が回らなかったようだった。
 母上の一周忌の頃には父上も少し落ち着いた。だが、それと同時に父上は変化した。

『───フリードル。アレはお前の妹などではない。アレは道具だ、私達の覇道の為の道具に過ぎない』

 父上の冷たくて大きな手が、僕の肩を抉る程に掴む。憎悪に濁った父上の視線が鋭く僕を貫いた。
 この時から、父上は僕に『妹は道具だ』と言い聞かせるようになったのだ。
 僕も最初は戸惑った。だって母上は、妹を愛せと……そう言っていたから。でも父上はそんなのお構い無しにと僕に語り掛ける。
 一年近く毎日のように、父上から同じ言葉を言われると……当時まだ二歳とか三歳の僕は父上の言葉を信じ、父上の言葉に従い生きるようになった。
 ぽっかりと空白が出来たかのように、それまでの何もかもを忘れて──。
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