だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜

561.Main Story:Sara VS Allbert

 ──本当は、なんとなく分かっていた。
 ただ、全てから目を逸らしていたのだ。
 だって……この方が、僕は幸せになれると思ったから。


 ♢


「……殺しなよ」
「負けたくせに偉そうだね」
「負けたからこそだよ。──敗北し、生殺与奪の権を敵に握られた諜報員に、生きる資格は無い。そうでしょ?」
「…………」

 正しい事を伝えたのに、兄ちゃんは不満げに顔を顰めた。
 僕は今、兄ちゃんに組み敷かれ、地面に磔にされている。自決も許されない状況だ。そして、彼の手には麻痺毒が塗られた短剣(ナイフ)が握られていて、今にも僕の喉を掻き斬らんと煌めいているのだが。
 容赦なく僕の事を負かしたというのに、ここに来て兄ちゃんは最後の詰めを、躊躇っている。

「ああそうだね。だったら、サラを生かそうが殺そうが俺の勝手だ」

 短剣(ナイフ)を影の中にしまい、兄ちゃんは胸ぐらを掴んでこちらを睨みあげた。

「──サラ。今から俺は、君を傷つける言葉を吐く。君の命は俺が握ってるんだ……目を逸らさずに、ちゃんと最後まで聞いて」

 兄ちゃんの真剣な瞳がボロボロになった僕を映す。そして、彼は宣言通り、僕を傷つける言葉を口にした。

「本当は、分かってるんだろう? 今の自分がおかしいってこと──今、自分が洗脳されてるってこと。俺よりも精神干渉に長けたサラが、気づかない筈ないよね」
「────っ!」

 鈍器で頭を殴られたような気分だ。
 僕は闇の魔力の中でも、精神干渉が得意だ。潜入任務の時は高度な精神干渉を駆使して、潜入先の関係者全ての記憶を操作し、誰よりも簡単に潜入捜査を成功させてきた。
 言わば、精神干渉は僕の専門分野。だから本当は、兄ちゃんの言う通り気づいていたんだ。
 僕の記憶が、何者かによって改編された事に。

 ──あの夜。いつも通り神々の愛し子の監視任務についていた僕は……その日以降、彼女を愛するようになった。

 彼女を一目見た者全てに精神干渉して、その人格を歪める力。そう認識しながらも、僕はそれを受け入れた。無意識のうちに受け入れてしまったのだ。
 紛い物の夢心地に包まれて、そんな現状に満足し、現実から目を逸らす。そんな日々の方が不思議と以前より幸福に思えて……余計に、気づいていないふりをしてしまった。
 だけど。兄ちゃんは、そんな僕の怠慢に気がついたらしい。

「どうして何もしなかったの? サラならきっと、ある程度抵抗だって出来た筈だ。それなのになんで……っ、なんで、尊厳を踏み躙られる道を選んだんだ!?」

 兄ちゃんの言葉が、グサグサと心に刺さってくる。なんと彼は、僕の言葉を引き出す為だけに、精神干渉を行っているようだ。

「なあサラ、兄ちゃんに教えてよ。なんで君は……全てを受け入れたんだ?」

 言いたくない。知られたくない。
 そう、思っていても。敗北者には拒否権などないのだ。

「──さびしかった」

 涙と共に、情けない言葉がぽつりと零れる。
 それを目の当たりにした兄ちゃんは、目を丸くして固まっていた。

「急に、記憶を失って……それまでのことも、何もかも分からなくなって。ずっと誰かに会いたかったのに、その誰かすらも分からない。ずっと……寂しかった。辛かったんだ」

 ボロボロと、隠してきた本音が溢れ出てしまう。

「そのまま何年も経って──僕が何も覚えていないように、もう誰も、僕の事なんて覚えていないと思ってた。だから、兄ちゃんと出会えて……兄ちゃんが僕のことを覚えていてくれて、すごく嬉しかったんだ」

 ずっと感じていた、心の穴。それは兄ちゃんとの再会で埋まった。記憶の復元は勿論のこと、僕がずっと会いたかったのは──他ならない、兄ちゃんだったから。


 僕は俗に言うお兄ちゃんっ子だった。
 隔世遺伝で僕達に発現した、闇の魔力。その件で兄ちゃん共々いじめられる事が多かったが、兄ちゃんはその度に僕を庇って矢面に立ってくれた。
 道端で食べるきのみの美味しさや、夜に見上げる星空の美しさ、木陰で眠る気持ちよさを教えてくれたのは、兄ちゃんだ。

『───エル。俺がいいって言うまで、エルはここにいて』
『で、でも……兄ちゃんは?』
『俺はエルより強いから、平気だよ。エルはこのまま、ここで待ってて』
『やだ、やだよぅ。僕も兄ちゃんと一緒に──』
『ッいいから兄ちゃんの言うことを聞いて!!』
『っ!?』
『……大丈夫。明日もまた、二人でこっそりきのみを食べに行こうな』

 ある日、故郷の村が野盗の襲撃に遭った。
 自宅のクローゼットに僕を隠れさせて、兄ちゃんはぎこちない笑顔で僕の頭を撫でてから、クローゼットの扉を閉め戦禍の中心へ赴く。
 ──それから十数分。外から聞こえる悲鳴が重なってきた時、ふと、嫌な予感がしたのだ。
 兄ちゃんとの約束を破ってクローゼットを飛び出す。想像より遥かに酷い光景の中、『兄ちゃん!』と叫びながらその姿を捜し、ようやく見つけた時。
 蹲り震える兄ちゃんに、野盗が血塗れの斧を振り上げていた。

『やめろ! 兄ちゃんに手を出すな!!』

 兄ちゃんを守れと、体が勝手に動く。
 いつも僕を守ってくれた優しくて大好きな兄ちゃん。だから、今度は僕が兄ちゃんを守りたかったのだ。
 兄ちゃんと野盗の間に割って入り、斧でざっくりと肩を抉られた衝撃で、僕は意識を失った──……。


 その後、記憶をも失い、ボスに拾われた僕は帝都で諜報員になった。西部地区での一年以降は、僕の喪失感が埋められることもなかったな。
 でも、兄ちゃんと再会して全てが変わった。

「……──忘れていた筈なのに、ずっと、心配だったんだ。兄ちゃんが無事でよかった……! こうしてまた会えて、本当に、よかった……っ!!」
「……エル…………」

 だからこそ、僕はこの精神干渉に縋ってしまったのだ。

「ぼく、さびし、かったの。せっかく兄ちゃんと会えた、のに……っ、兄ちゃんはすぐ、異動になるし……ずっとずっと、王女殿下のこと、ばかりだし……! もう、僕のことなんかどうでもいいんだ、って──……心の穴を埋めたくて、っ彼女を…………愛するように、なったんだ」

 兄ちゃんはずっと苦労してきたのに、僕のこんな我儘で、兄ちゃんの夢を邪魔しちゃいけない。だからどうにかして我慢していたのに。
 そんな時に都合よく、寂しさを埋められそうな縋り先を見つけてしまったものだから。

「こんな愚かな僕で、ごめんなさい……! 情けない弟で、ごめん……っ、兄ちゃん……!!」

 鼻をすすり、嗚咽を漏らす。いい歳して泣きじゃくる僕を見て、兄ちゃんはさぞ失望したことだろう。

「──謝るのは俺の方だよ、エル」

 震える声で呟くやいなや、兄ちゃんは僕を抱き締めた。

「寂しい思いをさせてごめん……っ! エルと会えて、記憶を取り戻してもらえた事にばかり気を取られて、エルの気持ちを全然考えてこなかった。俺は……っ兄ちゃん失格だ……!!」
「ちがっ……兄ちゃんは悪くない──!」
「俺が悪いんだ! 俺の所為で──!」

 互いを擁護する主張が重なり、僕達はぴたりと固まった。そして程なくして「ぷっ」と笑い声が漏れ出る。

「……またこうやってエルと笑い合えるなんて。俺、本当に幸せ者だなぁ」
「大袈裟──じゃ、ないね」
「うん。俺達、十年近く離れてたんだ。大袈裟なぐらいが丁度いいよ」
「そうだね。……ねぇ兄ちゃん。一つ、我儘言ってもいい?」
「っ! 何でも言って!」

 随分と肩に力の入った様子で、兄ちゃんはこちらを凝視してくる。

「……──あの日の約束、憶えてる?」

 明日になるか、明後日になるか。もしかしたら何ヶ月も後かもしれない。
 だけど、それでもいいから。またいつか──兄ちゃんと一緒に、こっそりきのみを食べに行きたいな。
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