エリート御曹司に愛で尽くされる懐妊政略婚~今宵、私はあなたのものになる~
 彼はそれ以上何も言わずに立ち上がり、テーブルの上にあった伝票に手を伸ばす。しかしそれを賢哉が阻止する。

「これは……こちらが」

 賢哉の言葉に、清貴はますます怒りを大きくした。

「そこまで憐れんでもらう必要はない。ひとりの女と別れた。ただそれだけのことですから」

 清貴は賢哉から伝票を奪い取り、会計を済ませカフェを出て行った。

 菜摘は彼が席を立ってから、ずっとテーブルの上にあるコーヒーカップを見ていた。しかし最後の最後彼が扉を出ていく瞬間我慢できずに顔を上げて彼の姿を追ってしまう。

 しかし彼は一度も振り向くこともないまま、店を出て行った。

 そのとき我慢していた涙が菜摘の頬に伝う。

「菜摘、大丈夫か」

 気を使う賢哉の声色にますます涙が止まらない。

「大丈夫じゃない……けど、大丈夫にならなきゃ」

 菜摘は流れてくる涙を手で拭う。そしてなんとか自分を保つために無理やり笑おうとした。

 しかし兄弟同然で付き合ってきた賢哉にはそれが菜摘のやせ我慢だということは十分理解していた。

「もうあいつはここにいないんだから、泣いてもいいんだよ」

 賢哉は小さいころのように菜摘の頭を優しく撫でた。その手が昔のままあたたかくて、それがまた菜摘の涙を誘った。

 しばらく賢哉に甘えて涙を流した後、大きく息を吐いた。そして賢哉の方へ体を向ける。

「賢哉くん、改めて恋人のフリしてなんて無茶なお願い聞いてくれてありがとう」

「いや、もとはと言えばうちの親父が悪いんだし。でも本当にあんな別れ方してよかったのか? 別の方法があったんじゃないのか」

 賢哉の言葉に菜摘は首を左右に振る。

「ううん、これでいいの。これが一番いい方法なの」

 菜摘にとって清貴は一番大切な人だ。彼のことだから同情して留学費用を出すと言い出す可能性が高い。

 しかしひとたびそんなことをすれば和利は菜摘が清貴と付き合っている間、一生彼やそして彼の実家である加美家に執着し金を無心するに違いない。

(彼に迷惑をかけるくらいなら、ここで別れた方がいい)

 清貴が自分を嫌いになるように仕向けるには、この方法しかなかった。彼の中で完全に悪になってしまえば、彼がもう自分に関わってくることはないと考えたからだ。

「菜摘がそういうなら、俺はこれ以上は何も言わない。よくがんばったな」

「……っ、うん」
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