green mist      ~あなただから~
 「今週の土曜日、夕飯食べに行こう?」

 夜十時。まだ、事務所のデスクで、スマホを手にしていた。

「本当に? 楽しみにしています」

 彼女の、軽やかな声が聞こえる。それだけで、ほっとする。土曜日なら、なんとかこの案件のめども立つと思っていた。



 土曜の夜、彼女と約束したのは七時。明日は日曜日、ゆっくり食事してなんて思っていたのだが、息を切らして居酒屋のドアを開けた時には八時を過ぎていた。それだけならいいが、また仕事に戻らなければならない事態だ。
 香音を待たせてしまった事に罪悪感でいっぱいになる。


「ごめん、遅くなった……」

 個室のドアを開けた。

「ううん。お疲れです」

 彼女の笑顔が嬉しそうに俺を見た。俺も頬が緩むほど嬉しくなるが、同時にこの笑顔に甘えてはいけない気がした。


「先に食べていれば良かったのに」

 テーブルには、まだ、何も置かれていなかった。店主が気を利かしたのか、暖かいお茶が用意されていた。


 俺も彼女の向いに座り、彼女が広げていたメニューを見る。

「食べたいものがあって、もう、頼んじゃいました。時川さんが来たら、用意してくださいってお願いしてあるんです」

「そうか、ありがとう」

「お忙しかったんじゃないのですか? 無理しないで下さい」

「まあね。でも、無理してでも会いたかったから」

 そういうと、彼女の頬がほのかに赤くなり、うつむいてしまった。

「なんて答えればいいか……」


 もごもごと言っている彼女がなんだか可愛い。俺だって、もっとゆっくり彼女との時間を過ごしたいが、今は、抱えている案件に対して、弁護士が足りていないのが現状だ。

「うん。実は…… まだ、仕事が残っているんだ」

「えっ? そうなんですか……」

 彼女の顔が少し曇った。こんな状況が続いてはダメだ。


「ああ。だから、この後、うちに来ないか?」

 彼女が少し驚いた顔を上げた。

< 62 / 115 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop