結婚契約書に延長の条文はありませんが~御曹司は契約妻を引き留めたい~
叔父夫婦は、篝家との繋がりにより広がる自分たちの明るい未来に、すっかり魅了されている。
これで私への風当たりが幾分か和らいだ。

また連絡しますと言って、篝は暇を告げた。

「君はどうする? 帰るなら送るけど」
「あ・・」
「是非、送ってもらいなさい」
「そうよ。香津美ちゃん」

香津美が言う前に叔父達が返事をする。

「じゃあ、夕飯まだですよね。途中で何か食べていきましょう」

有無を言わさない口調で、香津美の口を挟む余裕はなかった。

「香津美」

車で待っていてと言って篝を先に行かせ、用を足した香津美が玄関へ向かうと、花純が声を掛けてきた。

「私に感謝してよね」
「何を?」
「私があんたに代わりに行ってくれって言ったから、御曹司を捕まえられたんでしょ」
「人聞きが悪いわ。そんなつもりで行ったわけじゃないもの」
「でも、私のお陰でしょ」
「あなたの尻拭いをしただけよ。それより私に何か言うこと無いの?」
「何かって、何?」

まるで検討がつかないという顔の花純を見て、香津美は諦めてため息を吐いた。
花純の口から「ありがとう」という言葉を引き出すのは、かなり難易度が高い。
それが香津美に対してだけならいいが、これで社会人としてやっていけるのか不安になる。

「それで、例の彼氏とはどうなの?」
「ああ、亮? 別れたわ」
「え!?」
「だって、あいつ、私だけだって言っておきながら、他に女がいたのよ。それも高校生。信じられない」
「そ、そう・・」

それ以外何も言えなかった。

「でも、あいつのギター下手くそだから、絶対売れないわ」

思ったほど落ち込んでいないのが救いだ。

「でね、どう? この髪型」
「髪型?」

さらりと髪を掻き上げ、どや顔で聞いてくる。

「そう言えば、髪、切った?」
「わかる? 新しい彼氏のたっくんに切ってもらったの」
「え、か、彼氏?」
「私が時々行っているアンテナショップの隣にある美容室で働いているの。髪を切りに行って私が亮と別れたって言ったら、付き合おうって」
「そう・・良かったわね」

もうそれしか言い様がなかった。少なくとも今回は歴代の彼氏と違い、きちんとした職に就いている人だ。

「逃げずに来たね」

香津美が玄関を出ると、車に凭れ、腕を組んでいた篝が待っていた。

「逃げると思っていたのですか」
「君の性格からはそれはないと思うけど、万が一ってことがあるから」
「私のこと、よく知らないですよね」

まるで何年も付き合いがあるような言い方にむっとする。

「とりあえず乗って。食事に行こう。お腹空いているよね」

時計を見ると午後八時になろうとしていた。お昼を食べた後、差し入れにもらったクッキーを少し食べただけだった。
でも緊張しすぎて食事のことなど忘れていた。

「どうして今なんですか?」
「一週間もあれば考える時間は十分だ」
「でも」
「嫌ならとっくに断っていたはずだ。答えが出ないということは、俺との結婚に少なからず感心があるということだろ?」
「・・・私は」
「まあ、乗ってくれ。話は車内で」

玄関先での立ち話はどこで誰が聞いているかわからない。香津美は諦めて彼の車に乗った。

「そう言えば、キ」

車に乗ってすぐ、キスマークのことを思い出し、文句を言おうとした。
けれど「キスマーク」という言葉が恥ずかしくて途中で口を噤んだ。

「キスマーク? 気づいたんだ」

顔は前を向いたまま一瞥してほくそ笑む顔が、対向車のヘッドライトに照らされて見えた。

「ど、どうし」
「どうして? それは牽制に決まっている」
「け、けんせい?」
「なべぶたに・・」
「字を聞いているんじゃありません! 一体何に対して牽制したって言うんですか」
「それは、あの後君が会う予定だった人間に対して」
「は?」
「今度結婚するお友達・・そのお友達の二次会の幹事頼まれたって言ってたよね」
「ええ、それが?」
「もう一人の幹事って新郎の友達だろ?」
「そうですけど・・」
「二次会の幹事同士がそれをきっかけに仲良くなる。あり得ることだ」
「なっ! 私は別にそんなつもりで」
「君にその気がなくても、向こうはどうかわからない。自分の結婚が決まって幸せな人たちが、そのお裾分けをしようとお節介をしようと考える。不自然なことじゃない」

反論したかったが、そのとおりなので何も言えなかった。
大原からは何度も連絡があったが、でもそれは幹事をするために必要なやりとりであって、香津美にはそれ以上の気持ちは無い。
ただ、可奈子の言葉を信じるなら大原はそう思っていない節があって、それが彼からのメールにも窺える。

「どうやら心当たりがあるようだね」
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