甘い災厄











    □

 彼がどれほど可愛らしかったかは、あえて描写する必要もないだろう。それから、溶けたチョコレートやらで、身体中がべたついて最悪、と、彼は嘆いた。自分で願ったはずなのに、苛立ちがわいてくるらしい。


「ななとー」

「ん?」

まつりが呼ぶと、目が合う。彼はそっけなくはあるけど、少しだけ、まつりの声に反応するのが増えていたり、触っても怖がらなかったりしているから、嬉しかった。

「今日もかわいいね」

「っ……」

彼が慌ててシーツの中に隠れる。

「絶対言えない」

「は?」

「兄貴には、言えない、こんなの」

白い布の中で、彼の頬は真っ赤になっているのかもしれない。
しないといいながらも、まさか報告するつもりだったのか。

「コウカには言ってるんだ?」
「あの人は、勝手に察してあれこれとアドバイスしてくれる。あまりに的確だからちょっと怖い」

「で、どんな弱味を、話してるのかな?」

凄んでみる。
彼は俯いていた顔を上げて、ばっとまつりの顔を確認した。
そして、怯えた目をする。捨てられてしまうのではないか、そんな目。

「それは……その、あの」
にこっと笑って「別に怒っていない」と言うと、少しほっとしたみたいで、穏やかに、わずかにだが笑った。

そういえば昔読んだ本によれば虐待を経験した子どもは怒る顔や、怒るという行為自体にとても過敏になってしまうのだという。
身を守るための危険信号と結びつくのだろう。
そういう形に歪んだ表情や強く大きな声は、そのつもりがなくても絶望や圧迫感を与えてしまうのだ。

「あ、びっくりした? ごめんね」

布団にもぐりこむ彼に謝る。震えて出てこない。昔は無表情だったし、反応すら鈍かったが、少し感受性がついてからは、怖い、ということに強く反応を示すようになった。
「怖かったね、もうしない」
……出てこない。

「一応、チョコはタオルでふいたけど、シャワー浴びよう?」

出て、こない。

「一緒に入る?」

無反応だ。

「あのね、責めてるわけじゃないけど、事前に言って欲しかったなぁー」

少し、身じろぎした。
布団にもぐりこんでみる。背中を向けて丸まる背中は、なんだか愛しい。
「そんなに知りたいことって、何?」

コウカは、情報を売っている。家政婦としてあちこちに行きながら、そうやって生計をたてているのだ。まつりの話なんて売ったら、絶対、弱味を握られそうになる――

「言えない」

返事があった。
言えない?
なんだそれは。

「言えない!」

「夏々都」

「……怒、らない?」

「言ってみて」

「まつりが」

「うん」

「っ、その。好きなもの、とか、嬉しい、こととか」
「本人に聞いたら」

背中を向けたままの彼を抱き締める。
あったかくて気持ちがいい。

「お前は――何でも嬉しいって言うから!」

事実だ。
目を丸くしてしまう。
まつりは、彼が何をしてもしなくても、嬉しい。バレンタインに、一生懸命つくってくれたチョコレートとか、似合うからとゲームセンターで取ってきてくれたぬいぐるみとか、授業中に彼が書いたノートの落書きでさえ、写真を取ってファイルにしまっている。

彼のものなら何に対しても、可愛いとか、愛しいとか、それしかない。

「それじゃあ、わからないから、知りたい」

目を逸らしながら、彼は言う。コウカは食えないやつだが、気の合う友人でもある。
しかし夏々都が彼女と親しくしているのは少し妬ける。

「きみが、楽しく、笑顔で過ごしていてくれれば、それだけで嬉しいけど」

「そうやって、甘やかすようなことしか言わないから、ぼくはどんどん、だめになっていく」

「なってよ」

抱き締めたまま囁く。
彼がびくっと震えた。

「いいじゃないか、完全にまつりのものになって、それで、二人で静かに暮らそう? 他のものや、他の人なんて、関係ない」

「それじゃあ、ぼくが、弱くなる。まつりを守れない」

「夏々都」

「ぼくは、お前に何も、返せていないから」

「んーん、沢山もらってるよ。大丈夫」

泣きそうな目をする彼が、何を思っているかはわからない。けれどやっぱり愛しいと思う。

「ところでさ」

「ん?」

少し耳を赤くして、目を逸らされてしまった。

「……なんでもありません」



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