婚約者の浮気相手が子を授かったので
「クラウス殿下。世の中、金で解決できない問題もあるのですよ」
 作業者たちの中で一番人望があり、一番年配の男がエプロンを脱いだ。綺麗に畳むと、それをクラウスに突き付ける。
「今までお世話になりました。ファンヌ様によってこちらの工場が整備され、我々も仕事にありつけましたが。それはファンヌ様がいらっしゃったからです。ファンヌ様がいらっしゃらない今、何もこんな思いをしてまでここで働きたいとは思わない」
「お、お前たち。金が欲しいんだろ。そうだ、給料を倍にしてやる。お前たちがきちんと働きさえすればな」
 鼻をすする者、大きく息を吐く者。クラウスの言葉を耳にした作業者たちの態度はさまざまだ。だが共通することは、ここにいる作業者の誰もが、クラウスの言葉に魅力を感じていない、ということだけ。
 一人、また一人、立ち去っていく。
「お前たち。ここを辞めてどうするんだ。金、金が必要だろう?」
 クラウスにはわからない。金を求めて仕事をしているこの者たちが、なぜ辞めてしまうのか。給料も倍にすると、魅力的な金額を提示したにも関わらず。
「はい。ですからオグレン領に向かいます」
「オグレン領、だと?」
 クラウスの言葉ににっこりと微笑んだ男は、静かに工場を去った。
 いつの間にかその場に残されたのはクラウスと臣下の二人きり。茶葉の香ばしい匂いが立ち込める工場。だが、作業をする者は誰もいない。そのうち、この香ばしい匂いも異臭へと変わっていくのだろう。

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