囚われのシンデレラ【完結】
翌日の土曜日。
この日は午前中に行きたい場所があった。自分の部屋にあるバイオリンケースを手に取る。
部屋を出ると、廊下で西園寺さんに出くわして思わず後ずさってしまった。
「あの、今日はジムには行かなかったんですか――」
土曜日の朝はいつも西園寺さんはジムに行っている。
「昨日の帰りは遅かったようだけど、何をしていた?」
私の問い掛けを鋭い声が遮った。
「……昨日?」
私の勤務予定は前もって知らせてある。一緒に暮らし始めてから、私がどこで何をしていたかなんて聞かれたことはなかった。
「ディナータイムの営業が終わって、そんな遅い時間からどこかに寄ったのか?」
「い、いえ」
昨晩遅くなったのは、柊ちゃんと話していたからだ。
「店の終わりにちょうど幼馴染が訪ねて来たので、それで少し話をしていました」
「話……か。何をしていようととやかく言うつもりはないが、人目だけは気にしてくれ。誰がどこで見ているか分からない」
私の答えに、西園寺さんが目を閉じて微かに息を吐きそう言った。そして、すぐにもう一度私を見た。
「そんなものを持ってどこに行くところだ?」
「そ、それは――」
私が答えられないでいると、突然私の腕を掴みリビングへと引っ張って行く。
「さ、西園寺さん?」
「これからどこに行くつもりだと聞いてる」
最近は、少しずつだけれど私に対する眼差しが和らいで来ていると思っていた。なのに、すべて元に戻ってしまったかのようにひやりとした視線を向けられている。
「あの――」
「それを持って、どこに行く?」
私が手にしているのはバイオリンだ。
「売りにでも行くつもりか」
「もう、バイオリンはやめましたし、持っていても仕方ないから……っ」
とにかくまとまったお金が欲しかった。病院への支払いに間に合うように、準備しておきたかったのだ。退院した後の母の生活費のこともある。
「どうして、バイオリンをやめた?」
ソファに座らされ、西園寺さんに見下ろされる。
「どうしてって、私が音大をやめたのは調べて知っているんですよね? その時やめたんです」
「音大をやめても、バイオリンは続けられるはずだろ。どうして君はバイオリンを弾いていない? 一緒に暮らし始めてから一度もバイオリンの音を聴いていない」
「お父さんが死んで、そんな余裕はなくなりました。日々の生活で一杯で、だから――っ」
西園寺さんの手が私の肩を掴む。
「それは、金の問題か。本当にそれだけか?」
「そうです。もう完全に昔の夢として、吹っ切れています」
思いもしない西園寺さんの剣幕に目を見開く。
「金の問題なんかでやめられるような薄っぺらい情熱だったのか? 寝る間も惜しんで遊ぶ時間も惜しんで働いて。他の人間より練習できない不利な環境でも、バイオリンをやめられないって言っていた人間はどこに行った。あれも全部嘘だったのか?」
「どうして、そんなことを言うんですか……。西園寺さんに、何が分かるの?」
薄っぺらい情熱だと言われて、奥底に蓋をし続けて来た思いが刺激される。
「ある日突然、お父さんが死んで。大切な家族を失って。それなのに私がバイオリンを続けていいはず、ない――」
「それが本心だろ。金の問題なんかじゃない」
「西園寺さん……?」
私の肩を掴む手に力が込められる。向けられる視線の強さに、目を逸らせない。