囚われのシンデレラ【完結】


「――こんなところにいらっしゃったんですか」

午後、ひとしきり業務を終えた後。俺しかいなかった社内の休憩用ラウンジに遥人が現れた。

「一息ついていたところだ。もう戻る」

俺に近づいて来た遥人の横を通り過ぎようとすると、聞きたくもない名前を口にした。

「……あれ、漆原(うるしばら)会長ではないですか? 社長に会いに来たのかもしれないですね」

天井までの窓ガラスに顔を近づけた遥人が俺に視線を向ける。

「まだ、何かあるのか。何度、結婚していると言ったら理解してくれるんだ」

暖簾に腕押しとは、まさにこういう状況を言うのだろう。

「それは、常務のご結婚のされ方が異常だからでは? だから、相手も受け入れられない」
「異常?」

遥人の目に僅かに感情が灯る。

「僕はいまだに許せません。どうして、社長からあなたの結婚を聞かされなければいけなかったのでしょうか。それがどれだけ僕にとって屈辱だったか分かりますか?」

険しい表情を歪ませて、俺を見る。

「おまえに言ったところで反対されるのは目に見えていた。誰の意見も聞くつもりはなかった」
「結婚して何ヶ月経ちますか? 未だに誰もあなたの結婚を認めていない」
「誰が認めていなくても法的に成立している。もう、俺たちのことに関わるなと言ったのを忘れたのか?」

遥人であっても口出しさせたくなかった。何の力もなかったあの頃とは違う。誰にも邪魔させるつもりはない。

 7年前の出来事から、誰かを簡単に信じることができなくなった。

 あずさを秘密裏に調べて、手を下そうとしていた父。投資で社に大損失を負わせながら責任を取らない役員。結局、俺の立場には立たなかった遥人。そして、あずさ――。

 そう言えばあの時、遥人が言っていた。

“人は、本当に欲しいものがある時、自分を変えてしまえるんじゃないか?“

その通りかもしれないと、今なら分かる。

 あずさと別れてすぐに海外に飛び出した。先進国だけではなく発展途上国でも働いた。明日を生きるために人は必死になる。時には人を欺いて心を捨てなければならないこともある。そんなことを嫌というほど思い知った。

「この結婚は俺個人の問題だ」
「常務はセンチュリーを背負って立つ人間です」

改めて遥人と向き合う。

「そんなこと分かりきっている。誰にも何も言わせない仕事をするまでだ」

世界中のホテルを渡り歩いた3年。その後センチュリーに戻り、センチュリーニューヨークに勤務した。そこで合理的な経営を徹底的に学び、帰国した。

 本社に入り、国内では敵なしのブランド力に胡座をかいた甘い経営体質を一つ一つ見直した。
 そうして利益を倍増させることに成功し、7年前の漆原からの援助についてはすべて割増して返し終えていた。それなのに、なぜ再び縁談話など持ち上がったのか。疑問でならない。

「漆原は、7年前助けてくれた相手ですよ。無下な対応はそれだけうちの印象にも関わる。センチュリーの“顔“として、礼だけは尽くしておいてくださいね」

遥人が俺の肩を叩く。

「――公香(きみか)さんは、常務にかなりご執心のようですから」

そう俺の耳元で言うと、ラウンジを出ていった。

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