囚われのシンデレラ【完結】
それから数日後、夜、ホテルの上階にあるバーでソコロフと待ち合わせていた。
ちょうどこの日、あずさのレッスンがあり、ソコロフがホテルに滞在していたから呼び出したのだ。
一通りの世間話をした後、本題を切り出す。
"――ところで、あなたの見立てではあずさはどうですか?"
"本当によく頑張っていると思うよ。ヨシタカに依頼されたように、7年のブランクのある子にとってはかなり厳しい課題を出している。それでも、こちらの期待以上の状態で次のレッスンにやって来る"
”それで――?”
カウンターで並んで座るソコロフに、つい身を乗り出してしまう。その目を探るように見つめながら、思わず息を飲んだ。
"そうだな。音楽院の教授に推薦出来るだけの素質はあると言っていいだろう"
"そう、ですか……"
その言葉に、深い安堵を抱く。
それはつまり、モスクワの音楽院へ入学できる可能性があることを意味している。
モスクワにある音楽院は、世界三大音楽院の一つ。世界中から優秀な学生が集まる。音楽を学ぶのに最高の環境だ。そして何より、あずさが憧れていた留学先だ。
"自分のことのように嬉しそうだな。ヨシタカがそんな風に破顔させるのを見たことないぞ?"
あずさの腕をそのレベルまで戻すこと。それが、あずさと結婚した目的の一つなのだ。嬉しいに決まっている。
”あなたのおかげだ。本当にありがとう。音楽院に留学できれば、チャイコフスキーコンクールも視野に入って来ますね?”
”コンクールは2年後だ。モスクワで2年みっちり腕を磨けば、可能性は出て来る。それはそうと、ヨシタカは本当にそれでいいのか?”
手にしていたウイスキーのグラスの氷を転がしながら、ソコロフが俺の顔を見る。
”ヨシタカは、最初からアズサを音楽院入学レベルまで引き上げてくれと依頼して来た。でも、それが叶えば、君の奥さんを遠い異国の地に連れて行ってしまうことになるけど?”
”留学は人生の一大事だ。もちろん、本人の意思が一番だと思っています。でも、その選択肢をあずさに与えてやりたかった”
”そういうことではなく、君の心を聞いているんだ”
そう言って、ソコロフが自分の胸に指を当てた。
”そんなに必死になるくらいに、愛している人なんだろう? 音楽院をきちんと卒業するとなれば数年は必要だ。コンクールまでだとしても2年。君は奥さんとそんなに離れていられるの?”
そんなこと――。
胸の奥の奥で感じた軋みを無視して、ソコロフを見る。
”最初からそのつもりであなたにあずさを託したんだ”
あずさは俺のものではない。
”でも、何よりあずさの意思が大事だ。だからこそ、あなたからあずさに伝えてほしい。世界的バイオリニストのあなたに『音楽院を目指せる』と言われたら、絶対にあずさは自分の心と向き合うはずだ”
”アズサは、結婚していることで迷うのではないか?”
”その心配はありません”
はっきりとソコロフに伝える。