囚われのシンデレラ【完結】
二人が暮らして来たマンションに着く。4カ月近くを過ごした家だ。
「――西園寺さん。お話したいんですけど、いいですか?」
リビングに足を踏み入れ、その背中に声を掛けた。
二人でソファに腰掛ける。
「この前は、取り乱して一方的に喚いたりして、本当にごめんなさい。困らせてしまいましたよね」
「謝らなくていい。あずさになら、何をされても構わないから」
隣に座った西園寺さんが、歪んだ笑を私に向ける。
「私なりに考えました。ソコロフ先生とも話をして、改めて落ち着いて考えました」
大丈夫。ちゃんと言える――。
向き合う西園寺さんを真っ直ぐに見つめた。
「私、留学することに決めました。学生の頃夢見ていたチャイコフスキーコンクールを目指します」
「……あ、ずさ」
西園寺さんの瞳が開かれる。
「私に訪れた最後のチャンス。誰もが与えられるものじゃない。音楽やっていた人間なら、それがどれだけありがたいことか分かります。やっぱり、そんな貴重なチャンスをみすみす逃そうなんて間違っていました。私、モスクワに行きます」
愛しているから――。
「西園寺さんと離婚します」
瞬きもしないその瞳を、懸命に見つめる。
「だから、慰謝料ちゃんともらいます。ドレスももらいます。この指輪も婚約指輪もお金に困ったら売ってしまうかも。何をしてでも、夢を叶えてみせます!」
西園寺さんが、よりその表情を歪めて何度も頷いた。
「最後に一つだけ、お願いがあります」
「……なんだ?」
その声は少し掠れていた。
「1泊でいいんです。新婚旅行をしたい。西園寺さんが大変な時に、無理を言ってるって分かっています。でも、どうしても西園寺さんと行きたいの」
「でも……」
西園寺さんの目が激しく揺れる。離婚すると決めたのに新婚旅行だなんて、おかしいと思うのも無理はない。
「そんなことをしたら、余計に辛くはならないか……?」
「一緒に暮らした毎日は、私にとって大切な時間だった。結婚して本当に良かったと思っています。だから、ちゃんと西園寺さんとの思い出を作りたい。この結婚は、辛い思い出なんかじゃないから」
ほんのわずかな時間だったけれど、私と同じ想いでいてくれていたと知ったあの時、間違いなく私は最高に幸せな女だった。
それまでの日々だって、何度も西園寺さんの優しさに触れた。
西園寺さんが懸命に私にしてくれたこと、それは全部、西園寺さんがくれたかけがえのない想いだ。
私が夢を叶えた時、きっと西園寺さんは救われる。その時きっと西園寺さんは自分を許せるはずだ。
「あずさ……っ」
勢いよく抱き寄せられた。
「旅行、しよう。せっかく結婚したのに、俺のせいで、全然夫婦らしいことができなかったよな」
その腕の強さと震える声に心が締め付けられて、西園寺さんの胸に顔を押し付ける。
「二人で、楽しい思い出を作りたいです」
「……そうだな。そうしよう」
大きな手のひらが、私の頭を抱き寄せて。その表情は全然見えないのに、心からすべてが伝わって来る。
「その時間は、二人だけのものだ」
私も西園寺さんに見えないのをいいことに、その胸の中で声を上げずに泣いた。