囚われのシンデレラ【完結】
それともう一つ。さよならも言わないと決めている。それが、せめてもの、この別れに対する抵抗なのかもしれない。
「……以前、西園寺さんに言った私の目標、覚えていますか?」
「目標……?」
さよならではなく伝えたいことがある。
「私のバイオリンで西園寺さんを泣かせること。それが目標だと言いました。その目標はまだ達成されていない。今も、この先も、その目標は変わりません」
西園寺さんの腕をきつく掴む。
「号泣するほど感動させられるように、腕を上げます。目標が達成できるように、私、頑張るから」
遠くにいても西園寺さんに私の音が届くように。絶対に結果を出す。
「あずさのバイオリン、必ず聴くよ。俺は、永遠にあずさのファンだ」
絞り出されたような声。痛いほどに腕に力が込められる。
「うん。私は、あなたのために弾くから。だから、どこにいても聴いていてね」
目一杯の笑顔で、西園寺さんに顔を向けた。
西園寺さんに届くように、私はバイオリンを弾き続ける。
私たちが出会ったことに、意味があったこと。私の人生をかけて伝えるから。
この先もずっと、あなたを愛することを許してください――。
その想いがこの先の未来に繋がることを、信じていたい。
眠ることも出来ずじっと寄り添っていた。
朝を迎えた今、二人で過ごす時間など無い方がいい。そうでないと、私の決心なんてすぐに揺らいでしまう。
もう十分。何も思い残すことはない。
たった、一晩。それなのに、目の前の鏡に映る自分が全然違う人間に見える。激しく刹那に抱かれた身体は、まったく違うものに作り変えられた。
首元に、小さな痣のようなものが肌に浮かんでいる。鎖骨から胸元へ、模様のように散らばる痕。まだ消えずに残っている。何度も繋がったこと、激しく求められたこと。それが、現実だったと教えてくれる。いつまでも消えないでほしい。
「……っ、う」
堪えていた涙が込み上げて息を止める。たぶん、そろそろ限界だ。離婚届と便箋を置く。
" 旅行、凄く楽しかったです。
二人で思い出を作ることが出来て本当に良かった。私の願いを叶えてくださり、ありがとうございました
そして、たくさん助けていただいたこと、私の背中を押してくれたこと、感謝してもしきれません。二人で暮らした日々は私の大切な宝物です。
だからもう、この先自分を責めたりしないでくださいね。それが、私からの最後のお願いです。
どうか、お元気でいてください。
最後にちゃんと顔を見て挨拶しなかったこと、私が頼んだのに最後まで旅行を共に出来なかったこと、許してください。
では、行って来ます。
あずさ "
バスルームから聞こえるシャワーの音に背を向ける。涙を乱暴に拭った。
ごめんなさい。
西園寺さんに見せる最後の私は、笑顔の私でありたかった。マンションの私の荷物はすべて運び出してある。もう、あの部屋には戻らない。
振り切るようにバッグを手にして、部屋を後にした。