囚われのシンデレラ【完結】
それからは、音楽院への留学準備で目の回るような忙しさだった。
西園寺さんが準備してくれた母の住む家で、モスクワに経つまでの日々を過ごすことが出来た。
この部屋を初めて見た時、母が一人で暮らすには広いと思った。でも、こうなって改めて実感する。このマンションが私のためのものでもあったということを。
"実力がものを言う世界だ。実力のない者は、淘汰されて行く。頑張るんだぞ。私が向こうに戻った時には会おう"
この日は、ソコロフ先生との日本での最後の対面だ。先生はすぐに音楽院の教授と連絡を取り、音楽院受験までの期間モスクワで私のレッスンもしてもらえるよう頼んでくれていた。
"よろしくお願いします。音楽院で、脱落しないように頑張ります"
「私も楽しみにしてるから。あなたが、どこまで行けるのか」
木藤さんが笑顔で言う。
「モスクワの住まい探しから、語学学校まで、いろいろ手助けしてくださって、本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいのよ。モスクワには数年暮らしてたから」
海外なんて一度も行ったことのない私にとって、分からないことだらけで。先生と木藤さんに、どれだけ助けられたか分からない。
「先生にも、木藤さんにも、こんなにしていただいて」
「西園寺さんもね」
「はい。その期待を裏切らないように、死に物狂いでやります」
噛み締めるように答えた。
二人と別れて母の待つマンションの前でタクシーを降りたところだった。
「進藤さん」
突然声をかけられて身体が強張る。恐る恐る振り向くと、そこにいたのは――斎藤さんだった。その顔を見て、嫌でも自分の顔が険しくなるのが分かる。
この人が、何年もずっと、西園寺さんを裏切って来た――。
怒りと憎しみが込み上げる。この人は、西園寺さんを苦しめることに手を貸した。口を開けば、汚い言葉を吐いてしまいそうで無意識のうちに身を翻していた。
「……待って!」
切迫感のある声が飛んで来る。
「君が僕と話をしたくもないということは分かってる。こんなに早く君の前に出るつもりはなかった。でも、君が留学すると聞いて。一刻も早く、謝罪しなければならないと思った」
その言葉に振り返る。
私のことを”進藤さん”と呼んだ。そして、私が留学することを知っている。それを知っているのは、私の母と、ソコロフ先生と、木藤さん。そして西園寺さんだ。その中で、斎藤さんと直接関係があるのは、西園寺さんしかいない。
西園寺さんから、聞いたということか。
「僕のことはもう信用できないだろう。でも、最後に一度だけでいい、話をする時間をくれ」
斎藤さんが私に頭を下げる。
確かに、こんなところで話をしているのは人目もある。内容も内容だ。西園寺さんが私とのことを斎藤さんに話したということは、斎藤さんを信用してもいいのかもしれない。
それに、こうして会ったからには、私も斎藤さんに言っておきたいことがある。
「分かりました」
私は斎藤さんの申し出に頷いた。