囚われのシンデレラ【完結】
2次予選は、指定された作曲家から50〜60分に収まるように自由にプログラムを組む。2年かけて作り上げて来たプログラムだ。
舞台袖で、自分の番を待つ。今、演奏している人の音が、ふっと自分の中に流れ込んで来た。
心地いい――。
次に残れるかを競う相手でもあるというのに、心身ともにすべてを委ねたくなるような、優しさに溢れた音に胸の奥がじんとした。
きっと、弾いている人も素敵な人なんだろう――。
拍手が響き、舞台の床を鳴らす靴音が近付いて来る。待機している私を認識すると、軽く会釈をして小さく微笑んでくれた。
あ……この人。
参加者プロフィールで見た日本人女性だ。想像通り柔らかな雰囲気をまとう人。私も慌てて、会釈をする。そして、心の中で「素敵な演奏をありがとう」と呟いた。
私もすべての力を出し切る。このために、私の2年間はあったのだから。
ピアノ伴奏をしてくれる人と共に、舞台に進む。1次予選でも弾いた同じホールだ。
小ホールとは言え、ほぼ満席。このコンクールが、ここモスクワでどれだけ大きく注目されているかが分かる。4年に一度の、まさにお祭り。コンクール開催期間中は、街もコンクール一色だ。
そこが、国際コンクールたる所以。これまで、数多くの名バイオリニストを輩出して来た。
音楽を愛する市民たちが、今回はどんな才能に出会えるかとワクワクしているのがその目で分かる。お客さん皆が審査員なのだ。
まずは、一音目。そこで、聴衆を惹きつけなければならない。真剣に聴くべき価値のある演奏者かどうかのジャッジを受ける。
聴きたいと思わせる音を、ホールに放ち埋め尽くしたい。
緊張よりも、想いを――。
この身体と心に積み重ねて来たものすべてを、全部出し切る。
これで決まる。西園寺さんに、チャイコフスキーのコンチェルトを届けることができるのか。
西園寺さんが見つけて守ってくれたこの音を、ここにいるみんなに聴かせたい――。
最後の曲を弾き終え弓を弦から離し、ふっと息を吐いた。
一瞬の静寂の後、膨れ上がった拍手で身体中から力が抜けた。今頃になって震える足が身体を不安定にするけれど、笑顔で聴衆に向かって頭を下げる。
やっぱり、相当緊張していたんだ――。
どれだけ意識的に心を強くしていようと思っても、身体は完全には騙されてはくれない。肩は凝り固まり、腕はガチガチだ。
終わってからしか実感できないほどに緊張していたということだ。それを、防衛本能が自分に気付かせないでいた。
終わったんだ……。
改めて実感する。
「……すごい拍手ね。まるで、コンサートみたい」
「え……?」
舞台上で頭を下げる私の隣に立った伴奏者が、私の耳元で囁いた。
頭を上げ、改めて会場を見回す。聴衆の目が私に向けられている。
鳴りやまない拍手に、今度は心が震える。私が心を震わされている。この感動をもらえている。
人前で弾くことの喜びを、お客さんから改めて教えてもらえた。
”あずさ自身が一番よくわかっているはずだ。ただ家で弾いているだけでは現れない、舞台に立つことで見せる演奏家としての自分を”
西園寺さんは、そう私に言い続けたね――。
不意に西園寺さんの顔が浮かんで、思わず胸が苦しくなって何かが込み上げて来る。
だめ。泣くのは今じゃない。
まだ、泣いてはいけない――。
歯を食いしばり、顔の筋肉すべてを使って笑顔を作る。大きな拍手を送ってくれる聴衆に、私はもう一度深く頭を下げた。