囚われのシンデレラ【完結】

 オーディションの課題曲を繰り返し弾き続ける。

 練習中は、通しで弾くことはほとんどない。上手くできない部分、難所と言われる部分、そういったところを繰り返し何度も弾き続ける。それはもはや音楽とは言えない。本人以外にとっては、楽器の練習音は騒音以外の何ものでもない。

他に人がいると、それが気になってしまう。でも――。

私が気にすることを、西園寺さんは、多分、分かっている。

私が遠慮せず思い切り練習できるように、西園寺さんは西園寺さんでパソコンに向かって何かをしていた。そんな風に別のことをしてくれていると気が楽だ。

お互いに別のことをしているけど、同じ空間にいられる――。

それが、西園寺さんが私に対して考えてくれた気遣い。そのことに感謝して、私は無心になって練習した。


「――西園寺さん」

2時間ほど練習し続けた後、西園寺さんが座るソファーへと近付いた。

「ああ、休憩する?」

私を見上げるとノートパソコンをテーブルへと置いて、私が座る場所をあけてくれた。

「はい」

西園寺さんの隣に、少し緊張しつつ腰掛けた。

「思うように、練習出来た?」
「はい。おかげさまで、午前中に足りなかった部分をさらえました」
「それなら良かった」

私の方へと身体を向けて、西園寺さんと向き合う形になる。

「でも、あんな部分練習の音、うるさいだけで迷惑じゃないですか?」
「不思議なんだけど、進藤さんの音ならいくらでも聴いていられる。だから、余計なこと気にするな。分かった?」

向かい合う顔が、私を覗き込むように見つめて来た。

「分かりました」

西園寺さんの手が伸びて、私の頬に触れる。引き寄せられるみたいに、西園寺さんの顔を見上げた。頬を優しく撫でる指に力が込められると、西園寺さんの声音が変わる。

「……さっき、俺の部屋に行くと言った時、警戒しただろ? 緊張したのに気付いた。でも、ごめん。少しだけ許してくれ」

ひそめるような低い声に、胸の奥が大きく跳ねる。西園寺さんのがっしりとした腕と大きな手のひらが私を捕らえて、唇を塞いだ。

 西園寺さんとの二度目のキスは、吐息が触れる、重ねるだけのものだった。
 唇の触れる感触と、西園寺さんの清潔な石鹸の香。その全部を感じられる。

 二人しかいない空間で、その先に進んで行くかもしれない不安がないわけではなかった。
 でも、西園寺さんは、それ以上進んで来ようとはしなかった。角度を変えながら口付けるのに、それはどれも触れるだけで。そして、何度か上唇と下唇を優しく啄ばむ。
 むしろ、不安と緊張を取り除こうとするようなそれに、余計に胸が疼く。甘くてどこまでも優しい触れ方にたまらなくなって、思わず西園寺さんの腕を強く掴んでしまった。

「――悪い。会いたくてたまらなかったから。さすがに、何もせずにはいられなかった」

離れて行った西園寺さんの唇が動くのを、じっと見つめる。一体今、私はどんな表情《かお》をしているのだろう。

「西園寺さん――」

離れて行ったはずの身体がふわりと私を包み込む。

「……オーディション、頑張れよ。いつも応援してるから」

私の背中を抱く手は、とても優しくてそして心を締め付けるほど強い力だった。
< 55 / 365 >

この作品をシェア

pagetop