囚われのシンデレラ【完結】
初めて西園寺さんのマンションの合鍵を使って、勝手に部屋に入った。
「あずさ……」
カーテンが全開の窓から、都心の眩い夜景の明かりだけが差し込む。
ソファに座る西園寺さんが、驚いたように私を見上げた。そろそろ日付が変わる時間だというのに、シャツにネクタイといういでたちだった。
ただ、そのシャツはボタンがあき、ネクタイは緩められていて。西園寺さんらしくない姿だった。
「すみません。来ちゃいました」
「こんな時間だ。明日も練習があるだろ? 俺の電話のせいで――」
「私が会いたいから来たんです。西園寺さんのためじゃないですよ!」
西園寺さんの、戸惑うように激しく揺れる目に胸が痛んだ。
「明かりがついていなくても、窓際は明るいですね。舞台のスポットライトみたいでちょうどいいな。じゃあ、早速、バイオリンを弾きますから、そこで聴いていてください」
西園寺さんがどうしてあんな電話を私に掛けて来たのかについては触れない。西園寺さんが、私のバイオリンを聴きたいと言った。今はただ、その願いを叶えたい。
床にバッグとミント色のケースを置き、素早く鍵を開けバイオリンを取り出した。
「では、まず、ただいま猛練習中のチャイコのコンチェルト第一楽章を」
大きな窓を背に立ち、ソファに座る西園寺さんの方へと身体を向け一礼した。そんな私を、西園寺さんは何も言わずに見つめる。バイオリンを構え、最初の一音を奏でた。
ゆっくりと低音から上って行くように上昇して、テーマとなる旋律を弾く。何度も何度も、気が狂いそうになるくらい繰り返し練習して来た。優雅でありながら、どこか琴線に触れるようなメロディーを、静かな部屋に響かせる。曲の半分ほど弾いたところで、バイオリンを肩から下ろした。
「……うーん。なんかいまいちだな。まだまだですね。完成形は本番の舞台で聴いてもらうことにします。今以上に進化した演奏をしますから、楽しみにしていてくださいね。その代り、西園寺さんが好きな『夢のあとに』を弾きます」
自分でも分からない。
どうしてこんなにも必死になって明るく喋ろうとしているのだろう。
何かを聞いたわけでもない。何があったのか知っているわけでもない。でも、何かが私を急き立てる。
西園寺さんが好きだと言った、フォーレの『夢のあとに』を必死になって弾く。どれだけ掻き消そうとしても胸の痛みが消えてくれなくて。だからまた必死に音を紡いで。
いつもみたいに笑顔を見せてくれない。
何も言ってくれない西園寺さんが、何かを暗示しているいたいで。得体の知れない不安を掻き消したくて必死だった。
弾き終えてバイオリンをそばにあるグランドピアノの上に置くと、背後から西園寺さんに抱きしめられていた。