囚われのシンデレラ【完結】


 ラウンジに到着したときには、既にティータイムを過ごすお客さんが数組いた。
 ホテルのエントランス脇にあるこのラウンジは、優に二階分くらいはあるであろう高天井の窓際にある。初春の明るい陽射しが降り注いでいた。

 ラウンジの窓際中央、グランドピアノの置かれた場所に立つ。
 Vネックのシンプルなロングドレス。衣装をこうして支給してもらえるのは本当に助かる。残念ながら、私は演奏用のドレスは一着しか持っていないのだ。音楽をやっている者にとって衣装代はバカにならない。

 春に向けて明るく華やいだ雰囲気になるような曲を、あらかじめホテル側から指定されていた。
 バイオリンを構える。三人で視線と呼吸を合わせ、演奏を始める。

 一曲目は、エルガーの『愛の挨拶』だ。
まさに、”挨拶”。ピアノの伴奏にのせて、甘く綺麗な主旋律をバイオリンで奏でて行く。

 イギリスの作曲家エルガーがまだ無名だった頃、後に妻となるアリスに婚約のしるしに贈った曲。この甘々なメロディを聴いているだけで、エルガーがどれほどアリスを愛していたのかが分かる気がする。それもそうだ。当時のイギリスは厳しい階級社会。一般庶民で裕福ではない家で育った無名作曲家エルガーと、上流階級のアリス。身分違いの恋は、当然アリスの家から大反対にあう。それでも二人の愛を貫くために、アリスは勘当同然でエルガーと結ばれたのだ。

 家族を捨ててまで自分の元に来てくれたアリスに、エルガーは想いを強くしたに違いない。
 その後のエルガーがどうなったのか。歴史を見れば一目瞭然。こうして現代にも名を遺す偉大な作曲家となった。

 そんなことを考えれば、自分の手から流れるメロディーは自然と甘いものになる。でも、どうしても足りない。

甘いだけでその深さを音に表せないのは、私が知らないから――。

そんな激しく焦がれるような恋も、深い愛も私は知らない。

 弦に弓を滑らせて、歌うように奏でる。
 会話を楽しむお客さんや、一人目を閉じカップを手にするお客さん。ラウンジにいる人たちの姿を見渡してみる。

思い思いに過ごす時間に、少しでも花を添えられたらいい――。

そうやって見渡していたら、一つの視線とぶつかる。

あの人――。

ホテルのエントランスでぶつかり、鍵を拾ってくれた人。その人がこのラウンジで、誰かと向かい合って座っている。そして、私の方を見ていた。


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