二次元の外には、予想外すぎる甘々懐妊が待っていました
「ねえ、香澄ちゃん……」
「はははい……」
「あなた……シナリオのお仕事を、すぐ近くの喫茶店でやってたこと、あるでしょう」
「えっ!?」
「そこで、ベイクドチーズケーキとアイスミルクティーを毎回必ず頼んでたわ」

(どうしてそのことを知ってるの……!?)


 香澄がシナリオの仕事を始めたばかりの頃。
 家で引きこもりたいと言っていたものの、やはり家は「好きなもの」に囲まれた極上の空間。
 つまり、香澄にとって、誘惑が山ほどあるということ。
 「仕事をしよう」しようと思っても「あとちょっと」が我慢できず、結果締め切りギリギリまで誘惑に負けてゲームや漫画を貪ることも1度や2度ではなかった。

(このままではいけない……!)

 そう考えた香澄、仕事のペースに慣れるまでは、誘惑を断ち切れる場所で仕事に取り組もうと思ったのだ。
 最初は図書館も考えた。
 だが図書館だと朝イチで行かないとパソコンが使える席は占領されてしまう。
 何度か苦手な早起きを試したが、猛烈な席争奪戦の勢いに香澄は怯んでしまった。
 そして、予想以上に図書館にはいろいろな人がいた。
 コミュ障の香澄にとってはいつの間にか恐怖の空間になってしまった。

(他、どこかないだろうか……)

 そうして、救いを求めるように駅前を探し回った結果、見つけたのだ。
 ほんの少し薄暗くて、ちょっと通っぽいおひとり様かカップルくらいしか来ない、奇跡のような喫茶店を。
 さすがに毎日通うのは、お財布には優しくなかった。
 なので香澄は、1週間に1度と決め、その時間に合わせてスケジュールを組み始めたのだ。
 その結果、いつの間にか仕事のペースも掴めるようになっただけでなく、喫茶店に通うというリフレッシュ効果も相まって、その時の香澄は仕事のタスク量だけは着々とこなすことができるようになっていたのだ。
 こなせる量と質は比例しないことは、香澄は後に思い知ることになるのだが……。
 ちなみに、その喫茶店通いをやめるきっかけになったのは、後の八島の、ある一言がきっかけではあった。
 それは12月に入ってすぐのこと。

「香澄ちゃん、私達は人には言えない仕事をしてるの、分かる?」
「はい」
「情報流出とか、怖いの、分かる?」
「は、はははい……」
「そんなことになったら、何億円と損害賠償ふっかけられるか、わからないわよ」
「はははははい!?」
「だから、外ではお仕事しないようにしてるの。あなたももちろん、そうするわよね」
「もももももちろんです!」

 敬愛する八島にそんなことを言われて、断る選択肢も反抗する理由もなかった。
 それに、すでに八島のおかげもあり、家でコツコツと仕事ができるようになっていたので、喫茶店に行かずとも仕事はこなせるようになっていた。
 だから、12月から今日の今日まで、香澄はその喫茶店に1度も足を運ぶことはなかった。
 体調が悪かったから、コーヒーの匂いが充満しているその空間には近づきたくない、と思っていたのもあるが……。

「あの……先輩……あの喫茶店に私が通ってたって……知ってたんですか?」
「ええ」

 即答だった。

「香澄ちゃんは、覚えてないでしょうね」
「何が……ですか?」
「私たち、1度あの喫茶店で会ってるのよ」
「……え!?」

 そう言われて、香澄はまじまじと八島の顔を見た。
 思い出せない。
 こんな顔、1度見たら忘れられるはずないのに……。

「香澄ちゃん。私の顔を見ても思い出せるわけないわよ」
「どうして」
「だってあなたその時、1度も私の顔、見てないもの」
「え!?」
「たぶん、パニックになりすぎてて私の声も聞いてないんじゃないかしら」

 八島はそう言うと、ため息を1つついてから

「これを見れば、さすがに思い出すんじゃない?」

 と香澄にあるものを見せた。

「こ、これは……」

 香澄は、確かに見覚えがあった。
 香澄が普段使ってるものよりずっと高級そうな、皮の表紙の手帳。
 そして中身はうっすら茶色かった。
 間違いなく、コーヒーの染みだった。

「ええそうよ。あなたがコーヒーをぶっかけて平謝りした客が、私だったのよ」
「え、今すぐ死んでもいいですか」
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