90日のシンデレラ
 ***


 車の振動とは違う大きな揺さぶりに、真紘ははっと目を覚ました。倒したシートで眠り込んでいた真紘のことを、北峰が覗き込んでいる。その北峰の顔が、とても近い。

 (え! ちょっと待って!)
 (やだ、近すぎ! びっくりするじゃん!)
 (あれ? そういえば私、眠っちゃった?)

 北峰の顔の後ろにある天井は真っ暗で、あのヒルズ地区の輝くオベリスクも、けなげに瞬く小さな星もない。振動がないことから、元の場所、真紘の借り上げ社宅へ戻ってきたのだとわかる。
 車の振動の代わりにあるのは、北峰からの熱量と彼の息づかい。クーペに乗る前の滑りそうになった階段で、急接近したときと同じものである。
 ドライブが終わったのはいいとして、いま真紘と向かい合う北峰の顔がひどく近いような気がするのは、気のせいか? 

 「あ、すみません。眠ってしまって……本当にすみません」

 まずは謝罪をと、おずおずと真紘は口にした。きっと眠ってしまったことに腹を立てたかもしれない。向こうは会議のあと、ずっと高速道を運転していたのだがら。
 慌てて真紘はシートを元の位置に戻し、ドライブ開始の姿勢に戻した。しっかり起きているということをアピールしたのだった。

 「それはいいよ。気分が悪くなったわけではないようだから」
 「はい。お酒が回っていたみたいです」

 さらりとした北峰の反応に、ほっとする。会話も成立すれば、この近距離はおしまいになると真紘は期待した。
 ようやく夜の強制ドライブから解放される。ドライブ自体は楽しかったのだが、やはり北峰は真紘には高嶺の花のような存在だ。夜景をみている間はそれで気が紛れていたが、ドライブが終わればふたりきりという緊張しか残らない。
 そう、いま暗い室内でよく彼の顔がみえないとしても、この距離は心臓に悪い。とにかく悪い。
 急に鼓動が速くなった心臓を真紘はしっかり意識していた。

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