90日のシンデレラ
 一方で、北峰のほうは余裕綽の態度のまま。真紘の肩から離した手を、助手席シートの肩口におく。運転席から助手席にもたれかかるような形となった。少し距離は取ったものの、真紘のことを斜め上から覗き込んでいた。

 「あー、そういえば、何か飲んでたな」
 「はい。缶酎ハイを」
 「じゃあ、酔った頭ではドライブのことはあまり覚えていない?」
 「いえ、そんなことはないです。とてもきれいな夜景でした。テレビの映像でしかみたことのない風景で、実際にあるのが信じられないほどで……その、うまくいえないけれど、私の人生の中ではもう二度と体験できないものだと。本当にお誘いいただきありがとうございました」

 私の人生の中ではもう二度と体験できないもの――それは真紘の本心である。三ヶ月の、実質はもう二ヶ月を切っているのだが、研修の中で、今晩のドライブはとびきりの思い出になったのは間違いないのだ。

 「そんな大したことではないのだけど、お礼をいわれてしまった」
 「大したことないなんてこと、ないです。二度と体験できないってのは、嘘じゃないと思います、多分。うちの田舎はホントに、すごい田舎で……」

 ホントに、すごい田舎で……――その先のことは、口をつぐんでしまう。だって口にすれば、ますます悲しい気分になるから。孫会社社員の引け目が助長されるだけでなく、上京してから感じていたありとあらゆる劣等感も煽られそうだ。

 夜景の感想のあとでしゅんとなった真紘とは対照的に、北峰は軽い感じで、
 「じゃあさぁ、お返し、ちょうだい」
 「え? お返し?」
 「そう、ドライブのお返し。悪くなかったんだろ、今晩のドライブ。だったら……」
 小さな子供が母親にお手伝いのご褒美をほしがるように、北峰は真紘にお返しをねだる。一度開いた距離が、再び狭まってきた。

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