90日のシンデレラ
 「お客さん?」
 ――そうよ、東京本社の方。あ、ちょっと待って、ご本人とかわるわね。

 また、え? と思う。
 ガタガタと不自然な音がして、母の動揺がスマートフォン越しにわかる。平静を繕っていても、母の声だって普段より高い。
 母だけでなく、真紘だって動揺していた。目の前に瑠樹と一緒にドライブしたクーペとよく似た車があるだけでなく、東京本社という単語が耳に入って心臓がどきりとする。
 そして、今からその持ち主と会話するとなれば……

 ――もしもし、真紘?

 母のスマートフォンから男性の声がきこえてきた。この声に、真紘の心臓が跳ねあがる。
 端末越しにきく声は、馴染みのない男性のもの。はじめてきくような声にも思われた。
 瑠樹とは極秘でお付き合いしていた。直接会って話すからと連絡用のアカウントを交換していない。電話も同様で一度も真紘は彼とスマートフォンで話をしたことがなかった。だから今きくこの声が瑠樹のものなのか、少し自信がない。

 でも自分に真紘という呼びかけをする男性は、瑠樹しかしない。
 そう、瑠樹しかいないのだ。
 もう二度と会うことはないと思っていたから、今のこの声が信じられない。
 幻聴かもしれない、目の前のクーペだって幻覚なのでは?

 ――もしもし、真紘。きこえてる?

 真紘が返事をしないから、男性の声が訝しげなものとなる。
 はっと、真紘は我に返る。幻聴でも幻覚でもなかった。
 ぐっと息をのみ込んで、心を落ち着かせる。少しの間を取ってから、
 「はい、真紘です。瑠樹さんですか?」
 と、約二か月ぶりに瑠樹と会話したのだった。

 ――真紘、いまどこにいる?
 「家の前です」
 ――職場じゃないの?
 「いま帰ってきたところで……」
 ――じゃあ、ちょうどいい。そこにいて。
 「え?」

 それきりスマートフォンからは、雑多な音と声が断片的に流れてきた。

< 246 / 268 >

この作品をシェア

pagetop