90日のシンデレラ
 ちょっと、待ってくださいという母の声。どうやら瑠樹が母にスマートフォンを返したようだ。
 急にそんなことをいわれても困るんだよという父の声。母の横に父がいるらしい。
 急いで廊下を歩くような足音に、硬い地面を踏み擦るような革靴の足音。玄関で靴を履いた?

 次に微かなきしみ音交じりの閉開音がきこえて、門扉越しに玄関ドアが開くのがみえた。玄関ホールからの照明を背中から受けて、背の高い人物のシルエットが浮かび上がってきた。

 頭の輪郭線に、柔らかな曲線がある。あれは、緩やかなウェーブヘアのせいだ。
 シルエットの人物は一度玄関先で佇んで、周辺を見渡す。
 目的のものを見つけたのだろう、まっすぐに向かって歩き出した。そうこちらへ、真紘のほうへ、彼は意気揚々と靴音高く響かせてやってきた。

 ――ちょっとあんた、いきなりやってきて娘をくれといわれても、認めるわけないだろ!
 ――真紘からそんなこと、ひと言もきいていないだぞ。
 ――勝手なことは許さん!

 母は通話を切っていないらしい、真紘のスマートフォンからそんな父の罵声がきこえてくる。もちろん、シルエットの背後からも同じセリフが飛んでいた。

 時間がスローになったような気がした。
 ゆっくりと瑠樹がこちらに歩いてくる。門扉を超えれば逆光がなくなって、宵闇のなかだけど彼の顔がはっきりとしてくる。
 柔らかいウェーブの髪、色素の薄い茶髪が遠目の明かりの中で輝いている。すらりとした背に、きれいにフィットしたスーツを身に纏い、我こそがすべてにおいて絶対なんだといわんばかりの雰囲気を醸し出していて……
 紛れもなくあの瑠樹が、真紘の目の前にいたのだった。

 真紘の前に立てば、瑠樹は開口一番、こう告げる。

 「どうも話が通じない」
 「は?」

 誰が誰に何の話が通じないのだろう。真紘だって、話がみえない。どうしてここに瑠樹がいるのか?
 スマートフォンからは依然、「待ちなさい」と父が叫んでいる。
 真紘にわかるのは、今のこの瞬間が修羅場になっているということで……

< 247 / 268 >

この作品をシェア

pagetop