なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

8.旦那様と街へ

 リアンさんが差し出した契約書二枚に、目を通して署名する。同じ物をお互いに一枚ずつ保管するのだそうだ。本当にこんな夢みたいな内容で契約できたのか実感が湧かなくて、私用に貰った契約書の文面を何度も読み直してしまった。

「サラさんは、お給料の前借りを希望されておられましたね。お幾らになさいますか?」
「ほ、本当に良いんですか!?」

 尚も前借りができるだなんて、何処まで私に都合が良いのだろう。もう夢でも何でも良いから絶対に覚めないで欲しい!

「ええと……、取り敢えず、服を買い揃えたいので……そうだ、こちらでの冬服の相場等を教えてもらえないでしょうか?」

 私の金銭感覚はフォスター伯爵領で培ったものなので、冬は寒さが厳しいであろうキンバリー辺境伯領では、少し違ってくるかも知れない事に思い至って尋ねてみた。

「そうですね……。こちらの相場は基本的に王都よりは少し安価で手に入るかと。ですが、上等な服をご希望でしたら、物によっては入手しにくく高く付く物もありますので、どのような服をご所望されるかによりますが」
「一番安い物で良いです。暖かければ何でも良いので」
 私が即答すると、リアンさんとハンナさんは呆気に取られたように顔を見合わせた。

「……そう言えばリアン、今日は旦那様がお休みで、街に用事があってお出掛けされると仰っていなかったかしら?」
「あ、ああ、そうだが?」
「でしたらサラ様……いえサラさん、私の方から旦那様にお願いしておきますので、一緒に街に連れて行っていただいては如何ですか? その方が、実際にご自分の目で、買いたい物やその相場をご確認できるでしょうから」
「ええっ、良いんですか? それはとても助かりますが、旦那様のご迷惑になりませんか?」

 もしそうしてもらえるのなら、私は是非便乗させてもらいたいが、この場に居ない旦那様を無視して、勝手にそんな事を決めてしまっても良いのだろうか?

「では私は、旦那様に相談して参りますので」

 そう言って席を外したハンナさんは、暫くして戻って来ると、無事に旦那様の許可が取れたと微笑んでいた。

「昼前に出発して、先に旦那様のご用事を済まされてお昼を召し上がったら、サラさんの行きたいお店に連れて行ってくださるそうですよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」

 このお屋敷の方々は、本当に良い人達ばかりだ。こんなお屋敷で私がこれから働いていける事が有り難くて仕方がなかった。

 私は病み上がりなので念には念を入れて、と言うハンナさんによって、私は手袋や外套をお借りできる事になった。恐縮しきりの私にハンナさんは、キンバリー辺境伯邸は緊急時の避難所にもなり得る為、非常食や衣類を常備しているので、気にしないで良いと言ってくれた。お借りしていたネグリジェやショールも、その一環なのだそうな。領民達の事など全く考えず、自分達の服や装飾品ばかりに無駄にお金をつぎ込むしか能がない、フォスター伯爵家の三人とは大違いである。
 とは言え、小柄な私にとってはサイズは全て大きめだったけれども、お借りする身なのでそんな事は全く気にしない。手袋も外套もマフラーも、どれもとても暖かくて快適だ。

 そうこうしているうちに、そろそろ旦那様がお出掛けになるとリアンさんが呼びに来てくれた。連れて行っていただく身でお待たせするなど以ての外だと、急いで玄関に向かう。

「旦那様、折角のお休みの所申し訳ございません。できるだけ旦那様のご迷惑にならないように致しますので、今日は宜しくお願い致します」
「……構わん。ついでだからな」

 旦那様は素っ気無かったが、私が馬車に乗る時はエスコートしてくださった。使用人を気遣ってくださるなんて、やっぱり優しくて良い方だなと改めて思う。こんな方にお仕えできるなんて、私は本当に幸せ者だ。
 馬車が動き出し、私は窓から見えるキンバリー辺境伯領の景色をわくわくしながら眺めた。ここに来た時は、風邪でそれどころでは無かったので、殆ど今日が初めてのようなものだ。見渡す限り畑や木々が広がる大自然は、とても開放感がある。

「……何処まで行っても殆ど変わらん景色だ。見ていても何の面白味も無いぞ」
 じっと窓の外を見ていたら、暫くして旦那様が呟くように言った。

「旦那様にとってはそうかも知れませんが、私はこんなに広く彼方を見渡せる景色を見たのは初めてですので、とても開放感があって気持ち良いです」
「……そうか」

 旦那様が窓の外に目を遣ったのを見て、私も再び窓の方を向くと、丁度見た事の無い鳥が飛んでいるのが見えた。

「あっ、鳥だ」
「あれはハヤブサだな」
 私が思わず口に出すと、旦那様が答えてくれた。

「旦那様、お詳しいんですね」
「この地に住む者なら誰でも知っている事だ」
「そうなんですね。そう言えば、ハヤブサはキンバリー辺境伯家の家紋にもなっていましたね。私は本物を見たのは今日が初めてです」
「そうか」
 気分が高揚して、私は少しはしゃいでしまったが、旦那様は嫌な顔一つせず、私の話に付き合ってくれた。

「ここは自然が豊かで、とても良い所ですね。ここにずっと住んでいたら、何時か私も見ただけで鳥の種類を当てられるようになるでしょうか?」
「……どうだかな」
 そう尋ねた時だけは、何故か怪訝な表情をされておられたけれども。

 やがて馬車は街の中に入った。色取り取りのレンガでできたお店が建ち並んでいて、可愛い服や小物が見えたり、新鮮で美味しそうな野菜やお肉があったり、時々良い匂いが漂ってきたりする。飽きずに眺めていると、やがて馬車が一軒のお店の前で止まった。

「修理に出していた時計を受け取るだけだが、お前はどうする? ここで待つか?」
「旦那様がお邪魔でなければ、ご一緒しても構いませんか?」
「構わん」

 再び旦那様がエスコートしてくださって、馬車を降りる。お店に入ると、所狭しと懐中時計や壁掛け時計が飾られていた。

「いらっしゃいませ、キンバリー辺境伯」
 お店の奥から出て来た中年の男性が、旦那様を目にして頭を下げた。

「店主、頼んでおいた懐中時計を受け取りに来た」
「畏まりました。少々お待ちくださいませ」

 再び奥に向かう店主の背中を見送りつつも、アンティークなデザインの置時計や、スタイリッシュな懐中時計に私が目を奪われていると、何時の間にか旦那様は既に用事を済ませてしまわれていた。

「行くぞ、サラ」
「あ、はい! すみません」
 お店を出ようとする旦那様に声を掛けられ、慌ててそばに戻る。

「……え、え? キンバリー辺境伯が、若い女性のお連れ様を?」

 見送ろうとしていた店主が、私と旦那様を見比べて、何故か酷く驚いたように目を白黒させていた。
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