さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
「いいや、言っていたよ。君の手前、言いづらかっただけだろう。山谷社長の右腕として、危機感は誰よりも強かったと思うよ。そんな彼を責められるのかな?」
「……っ」
 光莉は病室で暗い表情を浮かべていた川岸のことを思い出していた。彼は明らかに今後のことを憂いていた。
 重たい沈黙が横たわる中、見かねたように秘書が口を挟んできた。
「けっして悪い話ではないと思いますよ。M&Aによる事業および会社の売却では、会社や工場と従業員の雇用関係がそのまま引き継がれますし、問題なく会社を存続させられます。資金繰りが大変な現状、御社にとってメリットの方がずっと多いはずですよ」
「そう。君が目くじらを立てる必要はないんだ」
 律樹は光莉を追い込むように言い添えた。
 たしかに山谷食品の経営の窮地は救えるかもしれない。けれど、失うものだってきっとそれ以上に多い。相手は、自分たちが欲しい部分だけを都合よく奪おうとしているのだ。生産地やブランド名を変えてしまったら、山谷食品にはもう何も残らなくなってしまう。
 光莉はこれまで積み重ねてきた山谷食品の歴史を思い、ギュッと拳を作った。
「おっしゃりたいことは理解しました。ですが、ブランド名を変え、拠点を東京に移す……という話のどこにメリットがあるのでしょうか」
「大事なものを守るためには、どうしても捨てなければならないこともあるとは思いませんか? 金沢の工場を畳み、常盤が所有する東京工場での大量生産に切り替えることで、コストは今までよりずっと抑えられるでしょう。従業員についても、たとえば、希望者には常盤グループの会社に雇用することを提案させていただく予定ですよ」
 律樹はさも当然のように言う。彼の方こそ大事なことが分かっていない。光莉はもどかしさを募らせながら反発する。
「そういうことじゃないんです。捨てられないほど大事なものがここにはあるんです。今までだって、東京の会社とは業務提携をしてきましたが、どこの傘下にも入るつもりはありませんでした。なぜなら、代々地元金沢の産業を盛り上げたいと立ち上げた事業を受け継いで、地元に根付いた企業でありたかったからです。たとえ会社が傾いても、その理念に背くことはできません」
 社長の代理なのだから、これだけは絶対に伝えなくてはならない。
< 28 / 132 >

この作品をシェア

pagetop