さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
「ただ、数年我慢してくれれば、君をこちらに戻すことも考えられなくもない」
「どういうこと?」
「こちらにも諸々事情があってね」
「事情って……?」
 律樹は渋々とだが、声を潜めて言った。
「俺が中三のときに母が亡くなって、父に引き取られた。大学卒業後には父の会社に入りさえすれば常盤家から出られるはずだった……しかしあとになって父に跡継ぎになってほしいと言われた。俺でなければならないのだ、と」
 離れている間に、そんなことになっていたなんて知らなかった。
 光莉はパーティー会場で聞いた噂のことをまた思い出していた。愛人、養子という言葉が脳裏をよぎった。
「俺にはその気がなかった。父は一度こうという道を決めたら譲らない、その上、執着心の強い人間だ。だから今度は俺の方から条件を出した。父の後を継ぐ代わりに、山谷食品を守ること、社長の娘である君と結婚すること、そのふたつを、ね」
「どうしてそんなことを……?」
 守りたい、と律樹が言った言葉を、光莉は思い返していた。彼はもうその疑問に答えることはしなかった。そして時計に目を留めると、手元の資料をまとめて光莉に手渡した。
「長居してしまったな。とにかく、よく考えてみてほしい。まだもう少し時間はある。無論、そうなった場合、山谷社長にも改めてきちんと挨拶をさせてもらうよ」
 律樹はそう言い残すと、光莉が慌てて引き留めようとするのを待たずに、踵を返した。
 ひとり残された光莉はその場から動けずにいた。
 山谷食品を救う代わりに、彼と結婚する。つまり政略結婚を求められた、ということだ。
「どう、すればいいの」
 光莉は頭を抱えるようにソファに座り込んだ。

* * *

 山谷食品のオフィスから離れたあと、秘書が手配してくれていたハイヤーに乗り込んだ律樹は、みやげと一緒に手に持ったままだった紙袋の中を見た。
「すっかり話し込んで、これを渡すのを忘れてしまった」
 というよりも、渡すきっかけを失ってしまった。あんな話をすれば、光莉が冷静でいられるはずがないと律樹はわかっていたつもりだった。
 回りくどい言い方をしない方がよかったのだろうか。しかし現実を突き付け なければ、きっと彼女は納得しないだろう。
 それでも、涙を浮かべていた光莉のことを思うと、何ともいえない気分だった。
「戻りますか?」
 秘書に問われたが、律樹は頭を振った。
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