ピースな私と嘘つきなヒツジ
「今、飲み物いれるから、ソファに座ってて。」
そう言って、泉は機嫌よくキッチンへと歩いていった。
NAGIの配信があった日から迎える最初の週末。千夏は借りていた凪の服を返すために、泉の家を訪れていた。本当は――「服を返したらすぐ帰ろう」と固く決めて家を出たはずなのに。玄関先で「すぐバイバイはさみしい…。」と甘えるように言われてしまい、結局「少しだけ」と家に上がり込んでしまった。
(……私って、自分で思ってるより流されやすいのかもしれない)
しゅん、と沸き立つお湯の音。すぐに、香ばしいコーヒーの香りが部屋いっぱいに広がった。――この香りを嗅ぐのは二度目だ。思い出すのは、あの朝。泉に告げられた「好きだけど付き合えない」という言葉。あれから、泉にとって自分は一体どんな存在なのか――答えの出ない思考が、また胸を曇らせていく。
最推しのNAGIと同じ声に惹かれているのか。二度も体を重ねてしまったからなのか。自分の泉への気持ちは定まらないくせに、「自分のことを一番に想ってほしい」と願ってしまう。そんな身勝手な欲望が、確かに胸のどこかにあった
「まだ、少し熱いから気をつけて。」
泉は、淹れたてのコーヒーと一口サイズのチョコレートを、ソファの前に置かれたカフェテーブルにそっと並べた。
「……ありがとう。」
千夏はマグを手に取り、ふうふうと息を吹きかける。口をつけた瞬間、ほのかな酸味とフルーティーな香りが鼻を抜けていった。
「ねぇ……あの服のことなんだけど。」
「ん?」
「借りた服って……凪ちゃんのじゃないよね?」
泉の表情が一瞬固まる。視線を逸らしたまま、短く答えた。
「……凪のだよ。」
「でも……凪ちゃんの服にしては、小さすぎるよ。本当は……泉くんの彼女の服じゃないの?」
そう言いかけた途端、泉が千夏の手からカップを奪い取った。テーブルに置かれた音が、妙に大きく響く。返答の代わりに、彼はそのまま千夏の唇を塞ぐように口づけを落とした。――これ以上、何も言わせないと告げるように。
「俺に彼女はいないし、俺が好きなのは千夏さんだけだよ。ただ…、今は付き合えないだけ。」
再び、泉の唇が千夏を捕らえた。だがそれは、いつものように優しい触れ方ではない。乱暴で、どこか苛立ちを含んだ口づけだった。
「……千夏さんはズルいよね。ふらふらと俺の前に現れて、一瞬で俺の心を奪っていく。なのに、千夏さんは俺のことなんて何とも思ってないんでしょ? ただ、異性から好意を持たれて嬉しいだけなんじゃないの? ――俺のこと、ちゃんと好きって言える?」
低く押しつけるような声。泉の唇はすぐに頬から耳へ、首筋へ、そして胸元へと移ろっていく。熱に浮かされたようなその動きに、千夏は身をよじって逃れようとした。
「……そんなこと、ない。泉くんじゃなかったら、きっとこうはなってないよ。じゃあ逆に聞くけど――今日で会うの、まだ三回目だよね? なんで泉くんは、そんなにも私のことが好きだって言い切れるの?」
「そんなの……ずっと前から千夏さんのこと、知ってたからに決まってるじゃん。」
「え……? どこで?」
「教えない。……教えなかったら、千夏さん、ずっと俺のこと考えてくれるでしょ?」
頬をわずかに染め、瞳を潤ませた泉が、一瞬だけ唇を離して切なげに見上げてくる。その視線に千夏の心臓が大きく跳ねた。だが返事をする間もなく、再び泉の唇が重なり、甘い熱に飲み込まれていく。
――次の瞬間、鎖骨の少し下に鋭い痛みが走った。思わず肩をすくめる千夏。泉は迷いなく、千夏の服の下へと手を滑り込ませる。
「……っ!」
千夏は咄嗟に泉の手を掴み、強く押さえ込んだ。これ以上奪わせまいとするように。
「……ほらね。千夏さんは、俺のことそこまで好きじゃないんだ。気持ちがあるのは俺だけ。だから今日は――これ以上しないでおくよ。」
泉の言葉に、千夏はうつむいたまま、声を失った。
(……泉くんの言う通りなのかな。私はただ、彼に好かれてうれしいだけ……?)
「クリーニング、ありがとう。今日はもう帰っていいよ。」
突き放すようなその言葉に、千夏は反論もできず、黙ってカバンと上着を手に取る。玄関へ向かう足取りは重く、視界がにじんでいく。泉に言われた言葉に対する悔しさと、どうしようもない想いが混じって、今にも涙がこぼれそうだった。
「……どこで俺と会ったのか、分かったら。また会いに来てよ。」
そう言いながら泉は玄関のドアを開け、千夏の額に軽く口づけを落とした。触れたのはほんの一瞬。それでも、その温もりは千夏の胸に深く残った。
そう言って、泉は機嫌よくキッチンへと歩いていった。
NAGIの配信があった日から迎える最初の週末。千夏は借りていた凪の服を返すために、泉の家を訪れていた。本当は――「服を返したらすぐ帰ろう」と固く決めて家を出たはずなのに。玄関先で「すぐバイバイはさみしい…。」と甘えるように言われてしまい、結局「少しだけ」と家に上がり込んでしまった。
(……私って、自分で思ってるより流されやすいのかもしれない)
しゅん、と沸き立つお湯の音。すぐに、香ばしいコーヒーの香りが部屋いっぱいに広がった。――この香りを嗅ぐのは二度目だ。思い出すのは、あの朝。泉に告げられた「好きだけど付き合えない」という言葉。あれから、泉にとって自分は一体どんな存在なのか――答えの出ない思考が、また胸を曇らせていく。
最推しのNAGIと同じ声に惹かれているのか。二度も体を重ねてしまったからなのか。自分の泉への気持ちは定まらないくせに、「自分のことを一番に想ってほしい」と願ってしまう。そんな身勝手な欲望が、確かに胸のどこかにあった
「まだ、少し熱いから気をつけて。」
泉は、淹れたてのコーヒーと一口サイズのチョコレートを、ソファの前に置かれたカフェテーブルにそっと並べた。
「……ありがとう。」
千夏はマグを手に取り、ふうふうと息を吹きかける。口をつけた瞬間、ほのかな酸味とフルーティーな香りが鼻を抜けていった。
「ねぇ……あの服のことなんだけど。」
「ん?」
「借りた服って……凪ちゃんのじゃないよね?」
泉の表情が一瞬固まる。視線を逸らしたまま、短く答えた。
「……凪のだよ。」
「でも……凪ちゃんの服にしては、小さすぎるよ。本当は……泉くんの彼女の服じゃないの?」
そう言いかけた途端、泉が千夏の手からカップを奪い取った。テーブルに置かれた音が、妙に大きく響く。返答の代わりに、彼はそのまま千夏の唇を塞ぐように口づけを落とした。――これ以上、何も言わせないと告げるように。
「俺に彼女はいないし、俺が好きなのは千夏さんだけだよ。ただ…、今は付き合えないだけ。」
再び、泉の唇が千夏を捕らえた。だがそれは、いつものように優しい触れ方ではない。乱暴で、どこか苛立ちを含んだ口づけだった。
「……千夏さんはズルいよね。ふらふらと俺の前に現れて、一瞬で俺の心を奪っていく。なのに、千夏さんは俺のことなんて何とも思ってないんでしょ? ただ、異性から好意を持たれて嬉しいだけなんじゃないの? ――俺のこと、ちゃんと好きって言える?」
低く押しつけるような声。泉の唇はすぐに頬から耳へ、首筋へ、そして胸元へと移ろっていく。熱に浮かされたようなその動きに、千夏は身をよじって逃れようとした。
「……そんなこと、ない。泉くんじゃなかったら、きっとこうはなってないよ。じゃあ逆に聞くけど――今日で会うの、まだ三回目だよね? なんで泉くんは、そんなにも私のことが好きだって言い切れるの?」
「そんなの……ずっと前から千夏さんのこと、知ってたからに決まってるじゃん。」
「え……? どこで?」
「教えない。……教えなかったら、千夏さん、ずっと俺のこと考えてくれるでしょ?」
頬をわずかに染め、瞳を潤ませた泉が、一瞬だけ唇を離して切なげに見上げてくる。その視線に千夏の心臓が大きく跳ねた。だが返事をする間もなく、再び泉の唇が重なり、甘い熱に飲み込まれていく。
――次の瞬間、鎖骨の少し下に鋭い痛みが走った。思わず肩をすくめる千夏。泉は迷いなく、千夏の服の下へと手を滑り込ませる。
「……っ!」
千夏は咄嗟に泉の手を掴み、強く押さえ込んだ。これ以上奪わせまいとするように。
「……ほらね。千夏さんは、俺のことそこまで好きじゃないんだ。気持ちがあるのは俺だけ。だから今日は――これ以上しないでおくよ。」
泉の言葉に、千夏はうつむいたまま、声を失った。
(……泉くんの言う通りなのかな。私はただ、彼に好かれてうれしいだけ……?)
「クリーニング、ありがとう。今日はもう帰っていいよ。」
突き放すようなその言葉に、千夏は反論もできず、黙ってカバンと上着を手に取る。玄関へ向かう足取りは重く、視界がにじんでいく。泉に言われた言葉に対する悔しさと、どうしようもない想いが混じって、今にも涙がこぼれそうだった。
「……どこで俺と会ったのか、分かったら。また会いに来てよ。」
そう言いながら泉は玄関のドアを開け、千夏の額に軽く口づけを落とした。触れたのはほんの一瞬。それでも、その温もりは千夏の胸に深く残った。