ピースな私と嘘つきなヒツジ

4.ただいま

しとしとと降り続く長雨にも、そろそろ飽きがきていた。

夏の日差しが恋しくて、窓の向こうを見つめるたびどんよりとした雨雲にテンションが下がる。

月日の流れは驚くほど早い。千夏と凪が、互いの未来を願い合ったあの日から、もう五年が過ぎていた。
千夏はその時の想いを、今も変わらず胸の奥にしまい、大切に抱きしめている。

国が違うからといって、連絡を取る術がなくなるわけではない。メールもチャットも、今の世の中ならば指先ひとつで届くはずだった。

それでも、千夏も凪も――あの日を境に一切言葉を交わすことはなかった。

凪がアメリカへ渡った後も、「NAGI」の配信は途切れることなく続いていた。

千夏はその画面を開くたび、かつてとは違う気持ちで彼の声に耳を傾けていた。

五年という時の流れは、千夏を大人にした。

仕事を覚え、後輩もでき、いまではチームリーダーとして会社を支える存在となっている。

同僚と酒を酌み交わす機会も増えたが、あの夜――凪と出会った夜のように、決して飲み過ぎることはなかった。

書類整理やメールの返信といった朝の仕事もひと段落し、オフィスには小さな安堵の空気が流れていた。
その静けさを破るように、しゃがれた声が響く。

「おい、市島。」

課長が千夏を呼んでいた。

「はい、課長。」

パソコンのキーボードの上で忙しく動いていた手を止め、千夏は椅子を押しのけて課長のデスクへと向かった。

「午後の打ち合わせ、一緒に出てくれ。今度の新商品のCM、担当を任せたい。」

「はい!課長。」

胸が高鳴る。今度の新商品といえば、会社がいま最も力を注いでいる目玉だった。その担当を任されるなんて――恋人も作らず、ただひたすら仕事に打ち込んできた日々が報われた気がした。

自分の席へ戻る途中、隣のデスクから声が飛んできた。

「先輩、やりましたね!」

同じ年ではあるが後輩にあたる品川が、満面の笑みを浮かべながら親指を突き立ててみせた。入社当初、彼にとって千夏は短大を卒業して先に会社へ入った“本物の先輩”だったのだろう。だが今では、その呼び名も敬称というより、あだ名に近い響きで「先輩」と口にしている。

「うん。これからも頑張らないと!」

千夏は浮かれることなく、むしろ気を引き締めるように微笑んだ。すると、品川がふいに頬を少し赤らめ、視線を逸らしながら言った。

「……俺、仕事に夢中になってる先輩、好きっすよ。」

その言葉を聞いた瞬間、千夏の胸にほんのり温かいものが広がった。だが彼女は、その裏に潜む恋愛の意味など微塵も気づかない。この五年間、仕事一筋に駆け抜けてきたせいで、千夏の「恋愛センサー」はすっかり鈍っていたのだ。だからこそ、彼女にとって品川の言葉はただの「尊敬の一言」として染み込んだ。

「品川くん、ありがとう!」

千夏は心から嬉しそうに笑い、純粋に先輩を慕う後輩の気持ちだと受け止めた。

千夏は午後の打ち合わせに備え、ファイルサーバから新商品の資料を可能な限り集めた。
それを片っ端から頭の中に詰め込み、ひとつひとつ整理していった。
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