禁断×契約×偽装×策略
「これは俺の問題で、佐上家は関係ない」
「黙れ!」

 貴哉と雪乃は一喝にビクリと肩を震わせる。

「グループ内でどんな立場にいようと、お前はまだ二十七の若造だ。世間からは嘴の黄色いひよっこでしかない。そんな者の言葉など誰も聞く耳持たん。実康くんがこの状態なのだ。年長者の言うことを聞けい! 見合いは今週土曜、場所は帝王ホテルのロビーに十時だ。我々も立ち会う。必ず来い。よいな」

 どうやら実康の見舞いではなく、貴哉に直接念を押しに出向いてきたようだ。雪乃は三人のやり取りを聞いていてそう思った。現に最初から見合いの話で、実康の様子を見ようとしていない。

 悔しいが、それよりも恐怖のほうが勝っていて、雪乃は身動きができなかった。

(え?)

 その時、手になにかが触れた。驚いて下を向くと実康が雪乃を見ていた。

「お父さん!」

 思わず叫んで実康に覆いかぶさるように顔を近づけた。実康はゆっくりと左手を動かし、酸素マイクをはずした。

「勝手に取っちゃ――」

 実康が小さく首を振り、それから正面を向いた。

「みな、そろっているみたいなので、ちょうどいい。聞いてほしい」

 声は小さいが力はあった。病室はシンと静まり返り、水を打ったようだ。

「次期宇條グループの総帥は、貴哉に委ねる。そのまま継ぐもよし、これと思う者に継がせるもよし。だが、その次の世代では、娘の雪乃の子をあててほしい。そのためには幼い頃からしっかり教育し、出自に左右されない強い子に育ててほしい。貴哉」

「はい」
「頼んだぞ」
「わかりました」

「飯塚君、いるかね」
「こちらに」
「貴哉と雪乃を支えてくれ」
「かしこまりました」

「雪乃」
「はい」
「苦労をかけるが、よろしく頼む」
「約束します」

 実康は安心したのか、またスッと眠ってしまった。
 病室内はしばらく沈黙に包まれていた。


 その後、病室に残ったのは雪乃だけだった。佐上夫妻は苦虫を嚙み潰したような顔をしてさっさと帰っていった。実康がまた眠ってしまったので、いても仕方がないところだ。

 京香は雪乃がいるのが嫌だったのかどうなのか、なにも言わず佐上夫妻と一緒に帰った。

 貴哉は少し悩みはしたが、外せない会議と来客があるとのことで渋々出社していった。

 飯塚も同様で、また来ると言いおいて貴哉に追随した。

 雪乃は看護師に一度目を覚まし、また眠ったことを知らせ、そのまま夕方に至るこの時間まで病室で一人過ごしていた。

「……こ」

 小さな声がして雪乃は顔を上げた。

「あや、こ」

 実康の顔を覗き込むと、眠っているままだ。綾子の夢を見ているのだろうか。

「お父さん」

 鼻の奥がツンと痛くなったかと思ったら、ぶわっと涙が溢れだした。
 実康の手をぎゅっと握りしめる。

(幸せだった。ずっと寂しいと思っていたけど、そんなことなかった。ひっそりしつつも、満たされていた。お父さんとお母さんと三人で過ごせて、幸せだった)

 それから雪乃は少しの間眠りの淵を彷徨い、頭になにか触れているような感覚を得て意識が戻ってきた。

(なんだろ……温かい)

 動いている。いや、撫でている。そう思ったら目が覚めた。

「お父さん!」

 実康が穏やかなまなざしでこちらを見てる。頬に赤みがさしていて、それを見た瞬間、雪乃は体の奥底からなにかが急激にせりあがってくるのを感じた。と同時に、再び涙が溢れだした。

「お父さん……よかった」
「すまない……」
「どうして謝るの? 喜んでるのにっ」
「そうだな。ありがとう」

 うんうん、と嬉しくてうなずく。実康はもう一度、雪乃の頭をゆっくりと撫でた。

「貴哉は?」
「貴哉さん? 仕事よ。お父さんが目を覚ましてしっかりしてるって連絡するね」
「無事か?」

 スマートフォンを取ろうとしていた雪乃は、ハッとなって手を止めた。

「貴哉さんは大丈夫よ。誰にも負けないわ。絶対に宇條グループを守り抜いてくれる。だから、安心して」
「雪乃、貴哉が好きか?」
「……はい」
「女として?」
「はい」
「成就しなくてもか?」

「はい。私は遠山綾子の娘だもの。戸籍上の結婚なんかにこだわらない。この想いを貫けたらそれでいい。世間に向けては顔向けできない事であっても、なにが本当に大切なのかお母さんが教えてくれたから」

 その言葉に実康の目が驚きに見開かれ、潤んだ。

「……そうか」
「どんなことになっても私は貴哉さんを想い続けて、支える。決めたの。だからお父さん、心配しないで」

 目を閉じ、昨夜、帰り際に京香から言われた言葉を思い浮かべる。

――土曜日、貴哉さんのお見合いよ。薄汚い野良猫の分際で、貴哉さんを誘惑しないでもらいたいものね。

(貴哉さんは真実を公にしてでも、私を総帥にして結婚するんだと言っているけど、私は賛成できない。そのことで従業員とか、多くの関係者に迷惑をかけることはどうかと思うもの。でもいいのよ。私が貴哉さんのことが好きで、貴哉さんが私を大切にしてくれるなら、それで充分だから)

「雪乃?」
「うぅん、なんでもない。早くよくなって。今までは姪っ子だったけど、これからは娘としてたくさん親孝行しようと思っているんだから」
「……そうだな。今まで本当にすまなかった」

 実康の目にうっすらと涙が浮かんでいる。雪乃はそれを目ざとく見つけた。

「やだ、お父さん、泣かないで。喜んでよ。そう言ったでしょ」
「喜んでるからだよ。雪乃……ずっと、ずっと、お前は私の娘だと言いたかった。私がお前のお父さんなんだと言いたかったんだ」
「うん」
「雪乃……私の子だ。私の娘だ」
「うん、お父さん」

 実康が腕をのばしてきたので、雪乃は身を乗り出し、同じように両腕をのばして実康を抱きしめた。力の限り。


――同時刻、宇條物産専務室。

「なんだ、これは」

 飯塚が貴哉に差し出した書類。それを見て貴哉は押し殺した声でそう問うた。

「横領の証拠資料です」
「横領?」
「はい。貴哉様が首謀して会社の金を横領したと、内部告発がございました。それをまとめた資料です」

 貴哉は意味がわからないといった感じでぽかんと飯塚の顔を見つめた。

「どういうことだ?」
「言葉通りです」
「説明しろ!」

 バン! と机を殴る貴哉に対し、飯塚は顔色一つ変えない。冷めた目で貴哉を見下ろしている。

「実際に私が調べたところ、告発の内容は本当でした。ただ首謀者が誰かは怪しいところで、調査中です。とはいえ決定的な証拠がない限り、貴哉様であるとされるでしょう」

「警察ではなくお前に言ったとなると、誰がこんなバカげたことをしたか想像できるがな。やはりあんたはあの女の味方というわけだ。いや、あの女じゃないな。後ろにいる威張り散らした腹黒いクソじじいか」

「…………」
「いくらで買収されたんだ? それとも最初からじじいの子飼いだったのか?」
「…………」

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