※エリート上司が溺愛する〈架空の〉妻は私です。

「片岡の一件があってからずっと……眠れなかったんです。会社でもあることないこと言われて、そのうち睡眠薬にも頼るようになりました。そんな時、紗良さんと出逢ったんです」

 紗良は静流と初めて顔を合わせた時のことを思い出した。確かに顔色が悪いなとは思っていたけれど、そんなに深刻だったとは……。

「貴女の淹れてくれる紅茶が、共に過ごす日々が他人とは自分を傷つけるためにいるわけではないと思い出させてくれた」
「そんな、大袈裟な……。私、大したことしてませんよ?」

 紗良はいつも通り紅茶を淹れただけだ。窮地を救った救世主のように美化され過ぎていないだろうか。

「紗良さんにとっては大したことでなくても構わないんです。半分背負ってくれると言ってくれたこと、本当に嬉しかった」
 
 望外な恩を感じてもらっているようで、紗良はますます俯いた。静流が語る紗良の人物像は自分の認識とはかけ離れている。
 紗良は決して静流が思っているような聖人でもないし、ちょっと紅茶が好きなどこにでもいる普通の女だ。
 とても静流から好きだと言ってもらえるような輝かしい女性ではない。

「帰りましょうか。そろそろ日が暮れる」

 静流は固まったままうんともすんとも言わなくなってしまった紗良を車に戻るように促した。
 あの空を流れていく雲のように、心も自由でいられたら静流の胸の中に真っ直ぐに飛び込んでいけたのだろうか。
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