ジェラシーを彷徨わせて
『イタリアの支社に、……転勤、』
中学3年の、夏休み。
ぼんやりと浮かんでいた進路に向けて、本格的な勉強を始めていた時期。服飾デザイナーであるお母さんに、海外で新しいブランドを作らないか、というお誘いがあったらしい。
……新しい会社を軌道に載せるまで、少なくとも3年はかかる、だとか。
わたしが小さい頃にお父さんを病気で亡くしてから、ずっと家庭と仕事の両立に励んでくれていたお母さんのがんばりが評価されて、たくさんのひとに認めてもらえたことがすごくうれしかった。
……けど、問題がひとつ。
『高校、どうしよう……』
高校の間だけ一人暮らし、というのも提案してみたけど即却下。
今までお母さんが留守だったときの家事(主に料理)はお手伝いさんや久利生家(凪のお家)にお世話になりっぱなしで、正直一人暮らしが成立するほどの技量もないし、先が見えない海外赴任の間ずっと家にひとりで置いておくことはできない、と。
─────結局お母さんに提案されたのは、寮が付いている学校に行ってほしい、ということ。