囚われのシンデレラーafter storyー
そして、年明け。1月のモスクワ公演。
本番当日の朝、植原さんから一つの記事の切り抜きをもらった。
”――進藤あずさというヴァイオリニストは、日本の音楽界にとって稀有な存在だ。才能あふれたヴァイオリニストなら、彼女に限らずいくらでもいる。
でも、人の心に直接入り込み人の心を動かす音を奏でられるバイオリニストは何人いるだろう。
楽器の中でも、ピアノやヴァイオリンといった楽器は特に、小さな頃からの修練が求められる。特に日本の音楽教育は、テクニックばかりを追い求めてはいないだろうか。
音楽とは何か――。そんな根本的であたりまえの命題を、いつしか忘れてしまう。
でも、音楽は人のためにあり、人を癒し、人を救い、人を喜ばせる。そういうものであったはずだ。
歴史に名を遺す作曲家たちが、何を思い曲を生み出したのか。
まさに、作曲家たちも同じ思いであったはずだ。
心にあるものを音符にして、私たちに音楽として伝えてくれる。
そんなことを、彼女のヴァイオリンは思い出させてくれる。
彼女は、心の中にある伝えたい思いをより正確に深く聴くものに伝える。彼女にとって、そのためにテクニックが存在する。テクニックとは本来そういうものだ。
彼女が奏でる音は本物の音楽だ。
世界の名だたる演奏家たちは、その音だけで勝負して来た。
彼女も、間違いなく、その音だけで聴衆を納得させられる、そういうヴァイオリニストだ。”
音楽専門雑誌に寄稿されていた、松澤さんの記事だった。
本番前の控室、私のスマホが鳴った。
「もしもし――」
(ああ、俺だ)
それは佳孝さんからだった。
(これから本番だよな)
「はい」
(今日、ネットで、松澤さんのあずさの記事を読んだ)
あれを、佳孝さんも――。
佳孝さんの言葉を、どこか緊張しながら聞く。
(――とてもいい記事だった。彼は、あずさを本当に思ってくれていた人だ。あの記事を読めばよく分かる。あずさをバイオリニストとして、心から認めてくれた人だな)
「はい」
(あの記事は、このモスクワ公演に合わせて出されたんだろう。彼のあずさへの信頼に応えるために、最高の演奏をしなくちゃな)
佳孝さん――。
「……はい!」
佳孝さんの深く低い声に、その思いを知る。直接言葉にしなくても、佳孝さんの言いたいことは伝わって来た。
(直接会場では聴けないけど、成功を祈っている。頑張れ)
「頑張ります」
電話を切り、立ち上がる。
私の音を奏でる場所へ――。