春の欠片が雪に降る




「ごめんなさい、ちょっとこっち」

 男性の腕を掴んで、ほのりが避難していた木陰に引っ張り込んだ。
 若干早めの時間帯だが、通勤してくる人たちの視線が刺さるための移動だ。

 そこでほのりは小さく深呼吸してから、自分よりも背の高い、彫りの深い童顔イケメンを見つめた。
 聞きたいことがありすぎて、頭が回らない。
 そんなほのりよりも先に口を開いたのは、もちろん彼の方だった。

「で、顔写真に、ほのりって名前で、ビンゴやんって」
「……終わった」

 大げさかもしれないけれど、人生変えたいって意気込みでここ大阪へとやってきたというのに。
 
(どうしよう、まさかこれから異動先の……人と……人生初の一夜の過ちってか!シャレにならない!!)

「本気で終わった」

 血の気が引くとはこんな感じなんだろうか? そう思うくらい階段を登ったせいで上がっていたであろう体温が急速に冷え込んでいくのがわかる。
 視線だってどこに持っていけばいいのかわからない。きっと目が泳いでるし青くなってるんだろう。鏡なんて見なくともわかる。

「ははは、終わってません、大丈夫」
「え?」

 頭を抱えてるほのりの頭上では、なぜなのか。ケラケラと愉快そうに笑う声がする。

「お互い結構飲んでましたしね、こうなってもたらノーカンでいきましょ」
「ノーカン……」
「はい、ノーカウントっすね」

(いや意味は知ってる)

 この爽やかな笑顔を浮かべている口元から発せられている言葉とは思えやしない。
 しかし、今のほのりに彼を軽いだとか責められる資格などあるはずもなく、言葉を選び正しく伝えるならば。

「ありがとう。それで、よろしくお願いします」

 ハッキリとした口調で首を何度も縦に振った。

 連絡先も交換せず、彼の目覚めも待たず立ち去ったあの夜。
 もう二度と会わないはずの人だったのに。
 まさかの再会に、ほのりは幸先不安と思わずにはいられなかった。

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