春の欠片が雪に降る
「寒くないです?」と、問いかけながら暖房を入れ温度を上げていく。
小さく頷くと、木下は軽く咳払いをした。
何やらもごもごと言いよどむ。彼には珍しい流れだ。
どうしたの? そう、問いかけようかとも思ったけれど、酷く眠い。
「吉川さん」
「……ん?」
ぼんやりとした頭で返す。
「ちょっと、話したいことあります」
「うん」
「……えーっと、で、吉川さんも濡れてもてるし、こっからやとうちの方が近いんで」
「うん」
「来てもらってもいいっすか?」
そう言った木下は、先程までの歯切れの悪い様子などなく。
落ち着いた優しい声と、瞬きの少ない力強いまなざし。
ほのりの記憶になぜだか強く刻み込まれ、そうして、そのまま、暖まりだした車内の空気に眠気を誘われ。
「吉川さん?」
濡れて落ち着くはずもない感覚をも上回った瞼の重さ。
抗い方も思いつかず、目を閉じてしまった。
遠くで、驚いたような彼の声がする。
「寝るとか嘘やろ、どんだけ飲まされたん」
はぁー……、と長く深いため息交じりの声と、ゆっくりと車が走り始めた、その心地よい揺れ。
ほのりは自分の口元が僅かに微笑んだことに気がつく。
思考が閉ざされていくその狭間に聞こえた声が、酷く愛おしかったからだ。