春の欠片が雪に降る

***


 (苦しい……)

 身体に何かが押されているかのような息苦しさに、小さく唸りながらほのりは重い瞼を何とか持ち上げた。
 眩しさに目を眩ませていると「あ、よかった」と、安堵したかのような短い声がする。

「……え」

 すぐ、目の前。
 整った男性の顔。
 肩に手を回され抱きしめるように体を密着させて、その手はほのりの薄手のニットに触れている。

 まるで、まるで、今からその手をニットの中に潜らせようかとしているかのよう。

 瞬きの回数が途端に増えた。

「はは、よかった。服めっちゃ濡れてるし、寝るし。今から断りなく着替えさせよかなって思ってたとこっすよ。セーフっすね」

 ヒラヒラと、もう片方の手に、言葉どおり着替えらしきスエットが見えるのだけれど。

「着替え……」

 そうやって目の前でニヤリと笑みを作るのは、間違いなく木下ではないか。そして。

(あれ、何だっけ……、って冷た!)

 寝ぼけた頭がだんだんと冴えてくる。
 同時に身体に張り付く衣服が体温を上げまいと冷やし続けていることに気がつく。

(なぜ、私はずぶ濡れ?)

「おーい、吉川さん? 起きてます?」

 木下がほのりの顔の前で手のひらをヒラヒラと揺らす。

(あ、ヤバい、待って、そうだ私)

 取引先の社長である相沢と居酒屋に入り、苦手なビールをチビチビとしかし延々に飲み続け……

「こ、ここどこ!?」
「えー、ちゃんと返事してましたやん。俺んちですってば」

 そう言った木下をじっと見つめた後、恐る恐るとまわりを見渡してみる。
 黒が基調の部屋の中は、きちんと整理されていて、十畳は超すだろうリビング兼寝室だろうか。この部屋にはベッドの上に脱ぎ捨てられた服や、乱雑に置かれたスマホや漫画。
 人が生活をしている……いや、木下が生活をしている様子が見える。

(いや、こら、まずいまずい、ダメでしょ)
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