月下の逢瀬
モラトリアムの終日は、やはりというべきか、祐子さんが子どもを産み落とした日だった。

待望の男の子に、家族は皆お祭り騒ぎだったよ。

当然、佐和の所に兄貴が足を向けるはずもなく、佐和のそばに行ったのは俺だった。


あの日の佐和は、今までとは別人のように明るくて、けれどどこか虚ろだった。
お祝いに、と飲み慣れないワインを空け、頬を赤く染めた佐和は饒舌だった。

それでも、佐和がにこやかだと俺も怒鳴らずにすんで、見た目だけは和やかな夜を過ごしていた。


夜が更け、ベッドに入り、いつものように重なりあったとき、二人に細かく細かく入っていた亀裂が、砕けた。


『愛してる。晃平(こうへい)……』


佐和が熱に浮かされたように呟いた名前は、俺じゃなく兄貴の名前だった。

それまでは、佐和は俺のことを『コウ』と呼んでいて、
俺はそれをもちろん自分のことなのだ、と思っていた。

けれど、『コウヘイ』の『コウ』だったのだと、その一言で理解した。


動きを止めた俺に、佐和は自分の失言を知って。
暗がりで、佐和が顔を強ばらせたのが分かった。


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