紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 考え事をしていた私の手を男が引っ張り上げる。
「で、どうするんだ?」
 ――え?
「こんなつまらん自己啓発みたいな話を聞きに来たのか?」
「いえ」
 そう、ここに来たのはこんな話をしたかったからじゃない。
「今ならまだ帰れるぞ」
「いえ、帰りません。約束通り全部奪ってください」
 ようやく傾きかけた六月の日差しが東京タワーに反射して真横からこの部屋を照らし始めた。
 男が私のブラウスに手をかける。
「カーテンを閉めてくれませんか」
「怖じ気づいたのか」
「いえ、やっぱりいいです」
 それでも男は最後の情けのつもりか、私を突き放して背を向けると、軽やかにカーテンを閉めた。
 日差しは遮られたものの、暗くはならない。
 外からの視線を気にする必要はなくなっても、男の視線からは逃れられそうになかった。
 それも計算の内だったんだろう。
 あらためて向かい合うと、男が私の顎に手をかけた。
「なんだ、案山子の真似でもしてるのか。なんでもするんだろ」
「何をすればいいですか。教えてください。どんなことでもしますから」
「脱げよ」
 私は間近に男の視線を浴びながらブラウスのボタンを一つ一つすべて外した。
 まるで中学生みたいなブラジャーがあらわになる。
「これでいいですか」
「ずいぶん中途半端だな。だが、下着を剥ぎ取る楽しみを残すなんて、男の本能をかき立てる方法は知ってるようだな。ついでにスカートぐらい脱いだらどうだ」
 私は言われたとおり、腰に手をやり、片足を上げ、上半身をかがめながら脚を抜いた。
 男はにやけながら私の仕草をなめるように眺めている。
 脱いだスカートを畳もうとしたその時だった。
 いきなり手をつかまれ、腕を引っ張られた。
 息をする間もなく唇が重なり合う。
 歯がぶつかって血の味がした。
「下手なキスだな。レモンの味でも期待してたんだろ」
「馬鹿な女のファーストキスを奪って満足ですか」
「まだ自分に価値があると思ってるのか。つぼみばかりの薔薇園と同じくせに」
「確かに私は価値のない女です。だけど薔薇園を悪く言わないでください」
「俺に指図をするな」
 うっ……。
 思わず体がすくんでしまう。
 ――口答えをするな。
 母に怒鳴られた記憶に押しつぶされて、何も言えなくなる。
 口答えをするな。
 口答えをするな。
 いちいち口答えをするな……。
 こらえようとしても涙がにじんでくる。
 男がそんな私を見て鼻で笑う。
「いざとなれば涙を見せれば解決すると思ってるのか」
 ――そう。
 この男の言うとおりだ。
 私は泣けば許されると思ってる子供だ。
 いつまでも何にも知らないままでいる子供だ。
「絶対泣きません。あなたみたいな最低の男に涙なんか見せません」
「いいだろう」と、彼はボタンを引きちぎってシャツを脱ぎ捨てた。「契約成立だ」
 分厚い胸板が覆い被さってくる。
 私は広いベッドに押し倒された。
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